「すべてがFになる」森博嗣著(講談社)を読んだ感想やあらすじ

書評

これから「すべてがFになる」を読んで感じたこと、考えさせられたことを書いていきます

本の属性情報

「すべてがFになる」森博嗣、講談社、1996年4月5日刊行



購入動機

著者の森博嗣さんは理系大学の助教授をされており、自分が文系なこともあって敬遠していましたが、
この作品は話題作としてかなり有名なので、一度読んでみたく購入しました。

あらすじ

大学助教授の犀川創平は、大学時代の恩師の娘であり教え子の西之園萌絵にキャンプに誘われ、ゼミのメンバーを引き連れて妃真加島に訪れます。

犀川は妃真加島の研究所で隔離生活を送る天才博士、真賀田四季に関心を寄せていました。

犀川と西之園はキャンプを抜け出して研究所に向かい、西之園の仮病により中へ入ることに成功します。

研究所の副所長から、システムの誤作動で真賀田博士としばらく連絡が取れなくなっていると説明されます。

やがてシステムエラーが解除され、真賀田四季の安否を確認するためスタッフ一同と共に博士の研究室へ向かいました。

そこで突然停電が起こり、事態は一変します。

研究室から現れたのは真賀田四季の遺体を載せたワゴン式ロボットでした。

誰も侵入不可能だった博士の研究室に誰が侵入し、誰が彼女を殺したのか。

システムが復旧せず外部とも連絡が取れない中、頼みの綱は研究所の所長がヘリで戻ってくること。

所長は真賀田四季の妹、真賀田未来を連れて戻ってきました。

スタッフがヘリの無線で警察へ連絡するよう所長に依頼し、博士の妹に状況を説明。

その間に再び事件が起こります。

ヘリの中で所長が何者かに殺され死んでいるのが発見され、無線は壊されていました。

犀川と西之園は力を合わせて事件の真相を推理していきます。

西之園は真賀田四季と面会した過去があり、そのとき真賀田が1から10の数字の中で7だけが孤独と話していたことを思い出します。

西之園から聞いたその言葉をきっかけに、犀川はついに密室殺人事件を解明していきます。



感想

小説の中にはいくつか理系の知識がないと難しい部分があるのですが、それ以外は文系の私でも楽しんで読むことが出来ました。

特に犀川助教授と真賀田四季の台詞は哲学的で独特な表現なので、読んでいて飽きません。

今回の小説はシリーズものの一つなのですが、予備知識がなくても一冊で話が完結しているので全く支障ありませんでした。

真賀田四季が西之園萌絵と初めて面会する場面で「1から10までの数字を二組に分けて、それぞれグループの数字を全部掛け合わせる。

このとき、二つの積が等しくなることはありますか?」と西之園に尋ねます。

計算の得意な西之園がありませんと答えると真賀田四季は「ほら、7だけが孤独でしょう?私だけが、7なのよ。それにBとDもそうね」と呟きます。

正直7とBとDが孤独になる理由は調べないと意味がわからなかったのですが、天才と賞賛されてきた真賀田四季だからこそ、
凡人には理解しがたい孤独を味わってきたのかもしれないと想像しました。

また描写から伝わってくる真賀田四季のミステリアスな雰囲気が魅力的で物語に引き込まれていきました。

孤独な天才真賀田四季は、14歳の時に叔父と関係を持って妊娠し、それを批判した両親を殺したため、研究所に隔離されます。

一人研究室で娘を産み育て、14歳になったら自分と叔父を殺すように教えて育てるのですが、この思想は理解し難く常軌を逸していて
、彼女がいかに普通ではないかが伝わってきます。

娘は天才ではなく母を殺せなかったため、真賀田四季は子供と叔父を殺して自分の計画を完遂します。

この行動だけを見ると気が狂ってるだけのようにも感じられますが、物語の終盤に彼女は「眠ることの心地良さって不思議です。

何故私たちの意識は、意識を失うことを望むのでしょう?意識がなくなることが、正常だからではないですか?」と犀川に問います。

真賀田四季は人間が生きている状態はコンピュータのバグのようなものと例えており、死が正常だと認識しています。

また殺されることについては、自分の人生を他人から干渉してもらいたいと思うことが、愛されたいという言葉の意味だとも話しています。

彼女の思想はやはり一般的な倫理感からかなりズレているのは間違いないのですが、全てを否定することも難しく、何が正しいのか混乱させられます。

そこが天才として注目される彼女の魅力なのだろうと感じました。天才の思想が哲学的で非常に読み応えのある作品だと思います。

総合評価
98点/100点



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