『風立ちぬ/菜穂子』 堀辰雄著のあらすじと感想

書評

堀辰雄の小説『風立ちぬ』は、スタジオジブリ 宮崎駿監督の同名のアニメーション映画の原作として採用されました。
今回はアニメとの違い、小説の見どころについて解説します。



本の属性情報

『風立ちぬ/菜穂子』
著者:堀辰雄
出版社:小学館、小学館文庫
出版日:2013年11月6日

購入動機

私はもともと、スタジオジブリ、宮崎駿監督のファンでしたが、『風立ちぬ』は彼の作品の中でも最高傑作だと思いました。
人生における愛、友情、仕事の意味——そんな哲学的な問題を考えるきっかけを与えてくれました。

その原作になった堀辰雄の同名の小説はどのような内容なのか? 自分の目で確かめたい。
それが今回、本書を購入した決め手になりました。

粗筋

『風立ちぬ』の主人公「私」は小説家で、彼の婚約者 節子は画家です。

「私」が節子を初めて見たのは、軽井沢のホテルの食堂で彼女が父と一緒に食事をしている最中でした。

その夜、散歩から帰った「私」は開け放された窓の縁にもたれかかる節子の姿を目にします。

私は節子に恋をしていました。二人は婚約します。

しかし、節子は肺病、すなわち結核に侵されていました。彼女は八ヶ岳のサナトリウムに入院することを決意します。

「私、なんだか急に生きたくなったのね……」2年前、「私」は節子と出会った時、ふいに口ずさんだ「風立ちぬ、いざ生きめやも」という、フランスの詩人 ポール・ヴァレリーの詩句をありありと思い出します。4月の朝、二人はサナトリウムへ出発します。

「思ったよりも病巣が拡がっているなあ。

……こんなにひどくなってしまっているとは思わなかったね」それが医者の見立てでした。

節子の容態は予想以上に悪化していたのです。

節子は病室に、「私」はその側室に入り、二人は起居を共にします。こうして「私達の少し風変わりな愛の生活」が始まったのです。

その間、このサナトリウムの17号室に入居し、苦しげに咳をしていた、ここでもっとも重篤な患者が死にます。

他にも、神経症の兆しのある患者が森で自死しました。高原のサナトリウムは、死に彩られた、死に満ち満ちた場所だったのです。

ある日、節子の父がお見舞いにきました。

節子は少女のように喜び、いっとき元気を取り戻しますが、その代償として血痰を吐いてしまいます。

父が引きあげたあと、病床の節子は八ヶ岳の山影に父の面影を認めます。「お前、家へ帰りたいのだろう?」思わず「私」は節子に訊きました。

「ええ、なんだか帰りたくなっちゃったわ」と、節子は聞き取れない位のかすれた声で言いました。

3年後の冬、「私」は八ヶ岳の谷間の村に小屋を借りて住み始めます。

その地は住民から「幸福の谷」と呼ばれていましたが、「私」にとっては「死のかげの谷」でした。

「私」の男やもめの暮らしが始まったのです。

ある日、「私」は近所のカトリック教会のドイツ人の神父に誘われて、ミサに参加します。

しかし、「私」は中座し、退席してしまいます。信仰を持つには至らなかったのです。

小屋に戻ると、小包の中にドイツの詩人 ライナー・マリア・リルケの『鎮魂歌レクイエム』が入っていました。

私は暖炉に当たりながら読みました。

「ただお前——お前だけは帰ってきた。

お前は私を掠め、まわりをさ迷い、何者かに衝き当たる」翌日、「私」は小屋の裏の林に迷い込みました。

すると、背後に気配を感じるのです。再び、リルケの『鎮魂歌』の一節を思い出します。

「帰っていらっしゃるな。そうしてもしお前に我慢できたら、死者たちの間に死んでおいで。

死者にもたんと仕事はある。

けれども、私に助力はしておくれ、お前の気を散らさない程度で、しばしば遠くのものが私に助力してくれるように&emdash;—私の裡で」私は無事、小屋に戻ることができました。

ある晩、私は小屋のベランダに立つと、風がしきりにざわめくのを耳にします。

目の前の雪は薄明るい塊にしか見えなかったのに、おもむろに、ひとつひとつの線や形が浮き上がって見えてきました。私はそれに親しみを感じます。ここは「幸福の谷」。そう思えるようになったのです。「私」の小説家としての本当の仕事はここから始まるのではないか——。そう予感して物語は終わります。



感想

ジブリファンとしては、アニメと小説の違いについて注目しました。

当然、アニメも小説もフィクションなので、違っていても構わないのですが、具体的なエピソードの取捨選択によって、作家の思想が明確に表れるんですね。

まず、ヒロインの名前です。

小説は節子ですが、アニメは菜穂子です。

これは堀辰雄が『風立ちぬ』の3年後に書いた小説『菜穂子』が元になっています。

節子はサナトリウムに行き、そこにとどまり、命をまっとうしますが、一方、菜穂子は「生きる」ためにサナトリウムを脱出、下山します。

ジブリのアニメでも菜穂子は下山します。

宮崎監督はアニメ映画としての臨場感、劇場性を高めるために、このエピソードを採用しましたが、両者には「生きる」ことに対する態度が明確に違うことが分かります。

それは小説家、原作者 堀辰雄の「生きる」思想にも繋がります。

堀辰雄は『風立ちぬ』の時点では、高原のサナトリウムで病に侵されながら「生きる」ことを、それまでの平凡な生活からの脱出、より高次な生活だと考えていたのではないでしょうか。「風立ちぬ。いざ生きめやも」という反語的な表現の詩句もそれを表しています。現代語に訳すと、「風が立った。さあ、生きようか。いや、もしかすると生きれないかもしれない」。中途半端な態度と言えば、それまでかもしれませんが、実はこれが『風立ちぬ』を書いた頃の堀辰雄の死生観なのです。生と死が如実に顕れる。その契機が病気であり、その舞台が高原のサナトリウムだったのです。

人は人の生死に立ち会うとき、すなわち、生命を如実に感じるとき、それまでの人生観の更新を余儀なくされます。

物語の終盤、「私」が「死のかげの谷」で、物事の輪郭が以前よりもはっきり見えるためには、これから小説家として本当の仕事ができると予感するためには、
節子の死を通過しなければなりませんでした。

人は病気や死などの不幸を経験しなければ「幸福の谷」に入ることはできないのです。

総合点

90点



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