なぜ集団ヒステリーは起こるのか?世界各地の10の事件から考察・タンザニアの笑いの感染他

謎・未解明事件・都市伝説

今回は集団ヒステリーに焦点を当てて、その症状や対処法、世界中で発生した事例10個をあげて説明していきたいと思います



集団ヒステリーとは?

集団ヒステリーとは、その場の誰かが最初に起こした症状が、周囲の人に連鎖的に移っていく症状です。

例えば誰か1人が突然叫び声をあげてけいれんを起こすと、その場にいた人も同じように発作を起こしていきます。

集団ヒステリーの症状には、けいれんや意識消失、呼吸困難、歩行障害などが挙げられます。
精神症状もあり、幻覚や興奮、恍惚状態が出た症例もあります。

またけいれんや呼吸困難などの身体症状の他に、過度な消費行動やデモが起こる場合もあり、社会問題になる可能性もあるのです。

どんな人に起こりやすいか?

過去の集団ヒステリーの事例を見ていくと、老若男女関係なく起こっていました。

その中でも特に多かったのは10代の女性です。

集団ヒステリーは学校や宗教団体、集落の住民など心理的に結びつきが強い集団のメンバーの間で発生すると言われています。

中でも学校に通う10代の少女の事例が最も多く、専門家によれば彼女たちはグループで固まり、お互いに共感しやすい性質を持っていることが理由と考えられました。

例えば、こっくりさんや幽霊話に花を咲かせるのはたいてい少女ですよね。

少女のうち1人が幽霊を見たといえば、周りも同調し、噂話としてあっという間に広がっていきます。

そう考えると複数人でグループを作り、共感力の高い若い女性に集団ヒステリーが起こりやすいのはわかるような気がします。

世界の集団ヒステリー事件10選

ここでは世界中で発生した集団ヒステリー事件の内容を紹介していきます。

豊川信用金庫事件

これは愛知県豊川市にある「豊川信用金庫」が倒産するというデマによって、取付騒ぎが発生した事件です。

倒産のデマを間に受けた利用者が窓口に押しかけ、2週間弱で約14億円もの預貯金が引き出され、倒産危機を起こしました。

事件のきっかけは、1973年12月8日に始まった女子高生3人の雑談です。

3人のうち1人が豊川信用金庫に就職が決まり、それについて他の2人が「信用金庫は危ないよ」と冗談を言ったのです。

「信用金庫は危ない」の意味は、信用金庫などの金融機関には強盗が押しかける可能性があるという意味で、「倒産」の意味は含まれていませんでした。

冗談を間に受けた女子高生は、自身の就職先が倒産の危機にあると勘違いし、電話で親戚に確かめたところ、倒産のデマが広がってしまったのです。

その後、窓口に人が押しかけパニックになりましたが、従業員が丁寧に説明し不安を取り除いた結果、事件は収束しました。



タンザニア・笑いの感染

1962年1月31日、タンザニアの村・カシャシャの全寮制女子校で3人の生徒が突然、訳もなく笑い出しました。

それを見た他の生徒たちにも笑いが伝染、気づけば校内のほとんどの生徒が笑い転げる事態に。

異常事態に恐れをなした教師は、職場を放棄したため学校は閉鎖されました。

学校を締め出された生徒は自宅に戻ってからも笑いが止まらず、他校の生徒にも笑いは伝染していき、やがて隣国のウガンダまで広まっていきました。

笑いの発作は数時間から最大16日間も続いたと言われています。

実は1962年はタンザニアが独立を勝ち取った年で、それに伴い子供の教育にも力を入れている時期でした。

最初に発作が起こった生徒は、エリートとして親や教師から高い期待をかけられ、それに対して生徒たちは強いストレスを感じ「笑い」という形で発散させたと考えられます。

ルイジアナの集団けいれん

この集団ヒステリー事件も少女が起こしたものです。

1939年の初め、アメリカ・ルイジアナ州の学校で1人の少女が足をけいれんさせ始めました。

教師が少女を調べたものの原因はわからず、足のけいれんは悪化する一方。

足のけいれんは、少女の様子を見ていた他の生徒たちにも急速に広まっていきました。

保護者たちはけいれんの原因がはっきりするまで、学校には通わせないことを決意します。

数週間後、けいれん騒ぎは落ち着きましたが原因ははっきりしません。

警察は最初に症状が出た少女に焦点を絞って調べた結果、足のけいれんは少女の嘘だということが判明しました。

実は少女は苦手なダンスの授業をサボりたいがために、足をけいれんさせ授業を休もうとしたのです。

現代でもSNSで嘘の投稿をして、それが急速に広まる事件がありますが、ルイジアナの事件も同じようなものだと考えられます。

ペルーの学校での集団パニック

2016年5月、ペルー北部にある学校で100人の生徒たちが、一気にけいれんの発作を起こし、泣きめき、気を失う事件が起こりました。

生徒たちの証言によると、黒服の男が生徒を殺しにやってくるというのです。

教師などの大人には発作が起こっていなかったため、原因を解明するのに苦慮しました。
調べてみると、事件が起こった学校はマフィアの墓地の跡地に建てられたもので、黒服の男はマフィアの幽霊ではないかと言われています。

その他にも学校が建てられる数年前にはテロで大量の犠牲者が出た場所でもあり、建設の際には遺体や人骨が発見されている場所でもあります。

マフィアの墓地にテロの跡地だなんて、もう少し学校を建てる場所を考えて欲しいものです。

セイラム魔女裁判

セイラムという地名に聞き覚えのある人は多いかもしれません。

この場所では、ほどんど口から出まかせの証言によって、19人が犠牲となった事件が起こりました。

事件は1692年2月末、アメリカ、マサチューセッツ州セイラムの小さな村で、数人の少女が遊びで降霊術をしていたのが始まりでした。

降霊術の最中2人の少女が全身をけいれんさせ、金切り声を上げて発作を起こし始めたのです。

少女は医師と牧師によって「悪魔付き」と診断され、村の住民に魔女がいて少女を悪魔付きにしたと決めつけました。

診断にあたった牧師は南アメリカ先住民の使用人を魔女だと疑い、拷問にかけて自白させました。

そして自白させられた使用人は、他にも魔女がいると告発し、告発者は雪だるま式に増えていったのです。

その結果、1693年には200人以上の女性が魔女だと告発され、30人が有罪、19人が死刑となりました。

本当に少女に悪魔がついていたかは定かではありません。



マクマーティン保育園事件

マクマーティン事件はアメリカにおける子供の性的虐待裁判の事例です。

裁判は1984年から6年間続きましたが、虐待の証拠が見つからないことから全ての容疑について無罪判決が出ました。

このことからアメリカ史上最も最悪な冤罪事件だと言われています。

事件の始まりは1983年にカリフォルニア州に住むジュディ・ジョンソンという女性が、自分の息子が性的虐待をされたと警察に訴えたことです。

ジョンソンは保育園の保育士で園長の孫であるレイモンド・バッキーを告発しました。

しかし息子を虐待したのは、バッキーではなくバッキーの父親によるもので、なぜか当の父親は起訴されませんでした。

事件の調査のため検事は、国際児童研究所のキー・マクファーレンという女性に調査を依頼しました。

しかしこのマクファーレンは児童心理学に関する知識を持っていないばかりか、児童たちに誘導尋問をかけたのです。

誘導尋問の結果、1984年の春までになんと360人を越す児童の虐待が行われたと報道されました。

虐待の証拠が何一つ見つかっていないのに、メディアは事件をセンセーショナルに報道し、やがてアメリカ全土がパニック状態に陥ります。

その結果、保育園に対する魔女狩りが始まり、いくつもの施設が閉鎖に追い込まれました。
これはマスメディアによって、事実が歪められて起こった集団ヒステリーといえます。

コレラの流行

コレラは日本で江戸時代から明治にかけて流行した感染症です。

現在のコロナ流行でもすごい騒ぎになりましたが、昔のコレラは警察が出動するほど恐ろしい騒ぎに発展したそうです。

コレラは死者が発生する感染症で、予防に対する正しい知識も不足していたため、昔の人々にとっては恐怖の対象でした。

コレラに感染した患者は隔離病院に収容され、その管理に当たっていたのは警察。

病の恐怖と警察の圧倒的な権力で、市民にとってコレラ感染は2重の恐怖だったのです。
1879年3月には西日本で大規模なコレラ流行が始まり、感染予防のため魚介類や生鮮食品の販売は禁止され、日本は経済的な大打撃を受けました。

不況のあおりから新潟県では米の価格が上昇し、さらに火事や洪水などの災害により地元漁師たちの生活は困窮、やがて打ちこわしへと発展していきます。

打ちこわしの制圧には警察が出動し、死者も発生しました。

コレラの流行は、経済的不況の他に打ちこわしといった集団ヒステリーも引き起こしたのです。

踊りのペスト

ペストは1347年に地中海の港から始まり、現在もアフリカで続いている感染症です。

人々がペストや飢餓などに怯えている中、フランスのストラスブールでは集団で踊り狂う奇妙な集団ヒステリーが発生します。

それが踊りのペスト、通称「ダンシングマニア」と呼ばれる現象です。

1518年7月の暑い時期、村に住むひとりの女性がおもむろに踊り始め、4日目には33人、1ヶ月後には400人が加わったと言われています。

そして自分の意思では踊りを止めることができず、ひどい時には1日に15人もの死者が出たそうです。

死因はいずれも踊りすぎによる脳卒中、心臓発作、栄養失調など。

踊っている様子を見た役人は、村人の頭に血が上り興奮していたと話しています。

9月になると数週間続いた半狂乱の騒ぎはおさまり、村人は通常状態に戻りました。

原因の一つとして疫病や飢饉、政治不安に対する怒りが集団ヒステリーとなって現れたのではないかと考えられています。



インドにて農民1500人が集団自殺

かなり衝撃的なタイトルとなりましたが、実際にインド・チャッティスガル州にて2009年、凶作に苦しんだ農民たちが集団自殺に走りました。

2009年はほとんど雨が降らず、農作物が壊滅的な不作に陥ったそうです。

また大多数の農民は借金を抱えており、今回の凶作でいよいよ借金が返済できなくなりました。

今回の集団自殺は借金返済に加えて、生活苦から自殺へと繋がってしまったと考えられます。

インド有機農法協会は、農民の自殺について以下のようにコメントしています。

「農民の自殺は金融業者がもたらした悪循環によって増えている。農民は不作になった場合『死』以外の選択肢が残されていない状態である。」

今後、インド政府は農民の生活を最低限保障する政策を取るべきだと叫ばれています。

インド聖水事件

最後の事件は、極度に汚染された水を地元住民が先を争うようにして飲む驚きの出来事です。

2006年8月18日、インド・ムンバイにある「マヒム・クリーク」という内海の水が甘くなる現象が起こりました。

マヒム・クリークは極端に汚染されており、大量のゴミ廃棄や、工業施設の汚染水が流れ着く場所として有名です。

もし日本人がマヒム・クリークの水を飲んだら、深刻な下痢や嘔吐、胃腸炎などを発症するでしょう。

ですが地元住民たちは日頃からマヒムの水を飲んだり、沐浴に使ったりしているそうです。

事件当日の18日、夕方にいつものようにマヒムの水を飲んだ住民が「水が甘い!」と言い出しました。

甘い水の噂はたちまち広がり、ムンバイ中から住民やTV局が集まる大騒ぎになります。

調査によると、普段マヒムは塩分濃度は約1万ppmありますが、大量の雨により濃度が600ppmまで激減したのです。

濃度が急激に薄まったことにより、海水を甘いと感じて騒ぎになったと考えられています。

翌日19日には海水の甘みは薄れ、同日午後2時には元通りの味に戻りました。



集団ヒステリーが発生しやすい環境

以上10の事例から集団ヒステリーが発生しやすい環境について考えてみました。

集団ヒステリーに陥る場合は、人々が冷静な判断力を失った時に発生すると考えられます。
冷静な判断力を失った時、以下のような要因が加わると集団ヒステリーへと発展します。

・群衆が差し迫った脅威を現実のものとして実感している
・危険から助かる見込みがあると信じられているが確実な脱出は困難
・脱出の際には他の脱出者との競争に勝たなければいけない
・生存競争に勝たなければならない危機感が集団の間に広がる
・コミュニケーションが機能せず全体の状況把握ができなくなる

例えば「セイラム魔女裁判」の事例をみると、ひとりが魔女として疑われ、無実であるにも関わらず自白しなければ助からない状況でした。

さらに自白しただけでは助かる見込みは少ないと判断し、他にも魔女がいると嘘の証言をすることで脅威から逃れようとしています。

学校でもクラスで自分ひとりがいじめられていたら、孤立という危機から逃れるために他のターゲットを見つけようとする心理と同じだと考えられます。

以上から集団ヒステリーが発生しやすい環境は、何らかの脅威が迫り、そこから何とか脱出しようとする群衆が集まる環境だといえるでしょう。

まとめ・集団ヒステリーに対処する方法

今回は10の事例から集団ヒステリーについて紹介していきました。

どれも教育や生活苦、流行病などの強いストレス環境に置かれた場合に発生していましたね。

人間は外部から脅威的なストレスがくると拒否反応を起こし、それがけいれんや呼吸困難などの発作として現れるのかもしれません。

集団ヒステリーに巻き込まれないようにするためには、日頃からストレスを溜めないようにすることが重要です。

また集団ヒステリーに同調しないように、目先の情報に振り回されず、本当にその情報が正しいのかきちんと判断する必要があります。

非常事態の際には心の平穏に保って、冷静に問題を見つめることを心がけてみてください。

お読みいただきありがとうございました。




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