『あひる』今村夏子著(角川文庫)を読んだ感想やあらすじ

書評

今回は、今村夏子の「あひる」を、私の感想とともにご紹介致します。

本の属性

「あひる」は、今村夏子さんという方が2016年に発表した短編小説です。

2019年に角川文庫から文庫化され、その際に「おばあちゃんの家」、「森の兄弟」という短編2つが合わせて収録されました。

今回私が読んだのもその文庫版になります。
中でも表題作の「あひる」は、芥川賞の候補として取り上げられました。

そちらは受賞には至りませんでしたが、同年に河合隼雄物語賞という別の文学賞を受賞しております。



購入したきっかけ

書店の売り棚でたまたま見掛けました。

いわゆる文庫本がまとまった本棚ではなく、今推されている本をピックアップして、表紙が見えるように面や平積みで飾っている棚からです。

その時は、「No.1注目作家」というキャッチフレーズの書いた帯がついていました。

しかしながら、そういう棚では、「○○賞受賞!」や「映画化決定!」といった触れ込みは別に珍しくありません。

今思えばですが、真っ白なスペースが多いシンプルな表紙と、「あひる」というこれまたシンプルなタイトルが、却って私の目を引いたのかも知れません。

あらすじ

短編が3つ収録されておりますが、今回は主に表題作の「あひる」に触れていこうと思います。

医療系の資格を取るために勉強の日々を送る「わたし」とその両親が暮らす家に、ある日アヒルの「のりたま」がやってきました。

それ以降、「のりたま」に合うために、近所の子供達が家に集まるようになります。

両親は子供達を手厚くもてなすようになります。

弟が結婚して家を出て以降、すっかり静かになった一家にとって、にぎやかな子供達は特に両親にとって嬉しい存在でした。

そのうち「のりたま」は何度か体調を崩しますが、父親が病院に連れていき、家に帰ってくる度、「わたし」は前の「のりたま」とは細部の特徴が違っているように感じます。

しかし、「どうしたの?」と口を揃える両親に、その疑惑を口に出すことはできません。

やがて子供達の興味も「のりたま」から離れてしまいます。もう「のりたま」がいなくなっても、家はおやつや勉強場所を目的とした子供達のたまり場となってしまいました。

ある日、久しぶりに弟が帰省し、見知らぬ子供達のたまり場となっている家に愕然とします。

両親と「わたし」に対して激怒しますが、妻に子供ができて、子供が産まれたらこの家に戻るつもりであることを最後に告げました。

両親はとても喜び、一家はその準備で忙しくなりました。試験に落ちた「わたし」はこれからも勉強を続け、アヒル小屋は潰され、
ブランコが設置されるようだという締めくくりで物語は終わっています。



感想

 感想でも表題作の「あひる」について重点的に触れていきます。

 言葉遣いは非常に簡単で、無駄がありません。

表現も非常に素直で、見たものや見えるものが真っ直ぐに伝わってきます。

少し童話に近いところがあるかもしれません。

 しかし、「この物語のテーマは?」とか「どういう物語なの?」と、少し大きな視点で物語を見ると、途端に掴みどころがなくなってしまうのです。
 
感じたことを整理してみると、まずは主人公に成長や変化というものが見られません。

彼女は資格試験に既に数回失敗しており、文の最後の方で今回の試験にも失敗したことが書かれています。

彼女が暮らす家庭の環境は、アヒルを中心に大きく変わっていくのですが、彼女自身にだけは徹底的に変化がないように感じました。

彼女は社会で働いたこともなく、文中では彼女の世界は家庭と勉強にほぼ終始しています。

主人公が必ず成長しなければならない、という決まりはありませんが、少し物珍しく感じました。

もしかしたら、主人公というより「語り手」に近い役割なのかも知れませんし、物語が長い人生の1シーンを切り取ったものであることの強調かも知れません。
 
もう一つ感じたことは、様々な「怖さ」が描かれているということです。アヒルを飼うことを目的ではなく、
子供達をおびき寄せる手段としてしまった両親。

「のりたま」が死んでしまっても、矢継ぎ早に新しいアヒルを用意し、しかもそのまま「のりたま」として飼い続ける怖さ。

私たち人間にとって、名前や命は掛け替えのないもののはずですが、「のりたま」の命はそうではなかったようです。

また、徐々に家庭に侵食してくる子供達。彼らは無邪気に動物に遊びを強要し、無邪気に人を裏切ります。

一家はそんな子供達を温かく迎えすぎてしまい、弟に叱られるまで気が付きませんでした。





この作品には他にも様々な怖さが描かれています。

到底ここに書ききれるものではありません。

しかし、ここで私が主張しておきたいのは、この作品はただ「怖さ」を描くための作品ではないだろうということです。

少なくとも表向きは、「わたし」を視点に家庭環境の移り変わりの1シーンを描いただけの作品です。私が感じた様々な怖さや不安は、文章から読み取った勝手なものです。

その「怖さ」の元は大人の「寂しさ」や子供の「無邪気さ」であり、更に物語全体でいえばきっと他の「何か」を表現するためにこの怖さが必要な要素だったのだと思いますが、
その「何か」は何度読んでも未だに掴みきれません。

この本の感想を書くにあたって様々な解説を読みましたが、ハッキリ言ってピンときていません。

この文章を読んで頂いた方も、おそらくはピンときていないのではないかとすら思います。

もしまだ作品を読んでいない方がいれば、読後にもう一度この文章を読んで頂けますと幸いです。

おそらくは、ピンとこないのではないかと思います。

 怖さのための小説、いわゆるホラーではないと主張しましたが、この作品がホラーだと言い切る方がいても頷けるし、
日常のドラマだと言う方がいても頷ける不思議な作品です。

非常に簡単な言葉遣いと素直な文章、わずか70ページの短編なのですが、未だに奥底が知れないような気がしています。

いささか褒めすぎかも知れませんが、国語の教科書に載せて欲しいとすら私は思いました。

最も、教える方もかなり大変だと思いますが…。
もし興味を持たれた方は、是非ご一読下さい。

ほとんど触れませんでしたが、他2つの短編も同様のテイストで魅力的なものになっています。

点数(100点満点)
95点




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