シオニズム運動とは?イギリス三枚舌外交やパレスチナ問題との関係からわかりやすく解説

歴史的用語の解説・説明

現在も紛争の絶えないパレスチナ問題が起こった背景には、シオニズム運動があります。

そこで今回はシオニズム運動とはどのようなものなのかイギリス三枚舌外交やパレスチナ問題との関係からわかりやすく解説していきます。

まずは、日本では,普段、耳にすることのすくないシオニズム運動とはどのようなものなのか、なぜ起きたのかについて解説していきます。



シオニズム運動とは?

シオニズム運動とは、ユダヤ人国家をユダヤ人の故郷であるパレスチナに建国しよう、という民族運動のことを意味します。
  
“ユダヤ人の故郷であるパレスチナ”という言い方に首を捻る方もいらっしゃるかもしれませんが、 現在のイスラエルがある土地は、1948年までイギリス信託統治領”パレスチナ”と呼ばれていました。

さらにさかのぼること約2000年前ごろまでは、ユダヤ人が統治していたユダヤ王国という国が存在していました。
ユダヤ人は、ローマ帝国との戦争・敗戦を経て、国を失い、亡国の民として世界に離散しました。

ユダヤ人が世界中に住んでいるのはこのためです。

ユダヤ人が国を失った後に定住し始めたのがパレスチナ人です。

パレスチナ人とは要するにパレスチナ地方に住むアラブ人で、アラブ人と人種は全く同一です。

ユダヤ人はキリスト教の神とされているイエス・キリストを死に追いやった民族として、住み着いた先の国の国民として暮らしていたロシア、スペイン等キリスト教徒が国民の大半を占める欧州各国で迫害にあってきました。

イエス・キリストは、そもそもユダヤ人でしたが、ユダヤ人の民族宗教であるユダヤ教の”ユダヤ人だけが神から選ばれたとする”教えや”厳しすぎる戒律”を批判、当時のユダヤ人支配層と厳しく対立したことで、罪人として捕らえられ、十字架上で死んだとされています。

この歴史的経緯からキリスト教徒は、ユダヤ人を好ましからざる民族として捉え、現在に至っています。
  
特にロシア語のポグロムという言葉は、ユダヤ人を迫害するということだけを意味していました。
  
また、中世期の欧州で猛威を振るい、多くの人を死に追いやったネズミ由来のペスト菌による黒死病でさえもユダヤ人の仕業と決めつけられ、酷く迫害されました。

このように欧州を中心にユダヤ人に対する迫害が絶えないことで、次第に”ユダヤ人も自分の国を持つべきだ”という考えが広まってきました。

ユダヤ人が自分の国というと思い浮かぶのは、 かつてユダヤ王国があった地パレスチナでした。

また、パレスチナの土地はユダヤ教の聖典である旧約聖書で ”神から与えられた土地”とされていることもあり、
ユダヤ人のパレスチナの土地に対するこだわりは並大抵でないものがあります。
  
実際にユダヤ王国がエルサレムを中心に栄えた時代を郷愁したユダヤ人の中に自主的にイギリス信託統治領”パレスチナ”に移住し始めるグループもあらわれはじめていました。

それではシオニズムとはどのような意味なのかというと、シオニズムは、「シオンの地に帰る」という意味があり、シオンというのはユダヤ王国の首都でユダヤ教の聖地でもあるエルサレムを意味しています。

つまり、自分たちの故郷(ユダヤ王国)が、かつて存在したエルサレムがあるパレスチナに戻って国家を再建しようというユダヤ人による運動がシオニズム運動です。



シオニズム運動が始まるきっかけとなった歴史的事件とは?

シオニズム運動が始まるきっかけとなったのは、1894年にフランスで起きたドレフュス事件です。

ドレフュス事件とは、ドイツのスパイとして疑いがかけられたユダヤ人将校が濡れ衣を着せられた
うえ、公衆の目前で将校の印をはく奪されるという屈辱を受けたというものです。

たまたま、その事件の現場を目撃したテオドール・ヘルツルというユダヤ人新聞記者が、”ヨーロッパの中で人権意識が先進的とされていたフランスでさえ、ユダヤ人に対する差別・迫害が存在する”ことに衝撃を受け

、”ユダヤ人差別・迫害問題を解決するにはユダヤ人が自分の国を持つしかない”と確信するに至りました。

その後、テオドール・ヘルツルは、1896年に近代シオニズム宣言の書”ユダヤ人国家”という書物を出版。

欧州のユダヤ人社会を中心に大きな反響を呼びました。

”ユダヤ人国家”の内容は、ユダヤ人が国を持つためにはどうしたらよいのかについて
具体的な手順を説明した今風でいえばノウハウ本です。

この内容に触発されたユダヤ人により、欧州にユダヤ人の利益を代表するユダヤ機関が設置され、
スイスのバーゼルでユダヤ人を集めて大規模なシオニズム会議を開催しました。

このユダヤ機関が以降、ユダヤ国家建国を実現するために様々な活動を始めることになります。

シオニズム運動とイギリス三枚舌外交との関係とは

ユダヤ機関やテオドール・ヘルツルは、当時、パレスチナを信託統治領としていたイギリスやオスマン帝国等のパレスチナに関係する国に頻繁に接触して、”パレスチナの土地にユダヤ人国家を建設すること”への理解を得ようとしていました。

そのようなシオニズム運動の効果もあり、第一次世界大戦末期の1917年にイギリスが
ユダヤ人にパレスチナで国家を建設することを認める「バルフォア宣言」を世界に公表しました。

しかし、このバルフォア宣言は、パレスチナでのアラブ人の独立を認める「フセイン=マクマホン協定」や、「サイクス=ピコ協定」と利益相反する矛盾した内容でした。

しかもサイクス=ピコ協定にはイギリスも参加していることから、アラブ人とユダヤ人でお互いがパレスチナでの権利を主張するという事態を招くことになりました。

この一連のイギリスのでたらめな外交は”イギリス三枚舌外交”と揶揄されています。

このことが、現在に至るパレスチナ問題の起点となっています。

1947年には国連でパレスチナの土地をアラブ人国家とユダヤ人国家に分割する
パレスチナ分割決議がなされ、1948年にユダヤ人国家であるイスラエルが誕生しました。



シオニズム運動からイスラエル建国までの歴史の流れ

1894年 フランスでドレフュス事件が発生。これを機にシオニズム運動が始まる。

1917年 イギリスがバルフォア宣言、ユダヤ人にパレスチナでの国家建設を認める。

1940年代前半 ナチスドイツによるユダヤ人の強制労働・大量虐殺が行われる。

1947年 国連でパレスチナ分割決議が行われる。

1948年 ユダヤ人国家であるイスラエルが建国。建国と同時にアラブ諸国と戦争状態に。

シオニズム運動と第二次世界大戦中のドイツによるホローコストとの関係

20世紀前半のヨーロッパではまだ反ユダヤ的な考えを持っている人が多く、その象徴的な存在がナチスドイツです。

ナチスドイツはヒトラーを先頭に、ドイツ国民の多くが貧しいのはユダヤ人のせいだ、という考えのもとユダヤ人のホローコスト(大量虐殺)を行いました。

これにより多くのユダヤ人の命が失われました。

この悲劇により、戦後、全世界にユダヤ人に同情する人々が増えたことでイスラエルが建国できたとも考えられます。

つまり、第二次大戦以前から進められてきたシオニズム運動がナチスドイツの登場により、パレスチナへのユダヤ人の脱出・大量移住によって加速。

また、ユダヤ人の虐殺が明らかになったことで”ユダヤ人国家”への理解と支持が進んだことがイスラエル建国に結び付いたといえます。

ここからは、世界的にはシオニズム運動がどのように見られていたのかを解説していきます。

シオニズム運動と世界

シオニズム運動をアメリカが支援した理由

シオニズム運動をもっとも強力に後押ししていたのはアメリカでした。 
イスラエルが建国されると最初に承認したのもアメリカでした。
  
アメリカの支持がなければ、ユダヤ人の悲願である自分の国(イスラエル)を持つことは実現できなかったでしょう。

アメリカがシオニズム運動を支援した理由の一つは、アメリカにもユダヤ人が多く暮らしていたということが大きいです。
また、ユダヤ人はその資金力等からアメリカ大統領選挙の行方を左右するほどの政治力があったことも大きく影響しました。

実際、アメリカにはシオニズム運動などを支持する「アメリカシオニスト機構」という組織があり、現在も活動を行っています。

イスラエルは建国後、すぐ建国に反対するアラブ諸国と戦争になりましたが、アメリカのユダヤ人から巨額の資金援助を受けたことで大量の武器を購入することが可能となり、苦戦したものの最終的に勝利。

独立を確保しました。

 

シオニズム運動に反対する国とその理由

シオニズム運動に反対しているのは、まずはパレスチナ問題でもめているアラブ人の国々です。

具体的にはエジプト、ヨルダン、シリア、レバノン、イラク、サウジアラビア等です。

アラブ人からすれば、同胞であるパレスチナ人が2000年もの間、
暮らしてきたパレスチナの土地からユダヤ人によって追い出され、難民となった経緯から、不倶戴天の敵となり現在に至っています。

また、非アラブ人の国ではイランが現在もイスラエルの存在自体を認めていないうえ、数々の敵対行為をイスラエルに対して絶え間なく仕掛けています。

オリンピックでアラブやイランの選手がイスラエルの選手との対戦を拒否することがあるのは、こうした背景からです。

他にはイスラエルがイスラエム教の聖地でもあるエルサレムを不当に占領しているとして、トルコ、パキスタン等の非アラブのイスラム教国もシオニズム運動・イスラエルに否定的です。
  
 

まとめ

・シオニズム運動とは、ユダヤ人国家をユダヤ人の故郷であるパレスチナに建国しよう、という民族運動のことを意味します。

・シオニズム運動が始まるきっかけとなったのは、1894年にフランスで起きたドレフュス事件です。

・イギリスは、シオニズム運動を支援する一方、アラブ人にもパレスチナに国家を創立することを認める等、相矛盾した約束をする三枚舌外交を展開、現在のパレスチナ問題の原因となりました。

・第二次世界大戦中のドイツによるホローコストは、結果的にシオニズム運動を促進させ、イスラエル建国に結び付きました。

・シオニズム運動をもっとも強力に後押ししていたのはアメリカで、それによりイスラエルはアラブとの戦争に勝利、独立を確保することが出来ました。

・シオニズム運動に反対する国の筆頭はアラブ諸国で、それ以外ではイランが強硬に反対しています。




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