シーア派とスンニ派の違いと背景・歴史・対立の現状

■シーア派とスンニ派の違いと背景・歴史・対立の現状

①シーア派とスンニ派が生じた背景

スンニ派とシーア派はイスラム教の創始者ムハンマドの後継者の選び方に対する考え方の相違から、2つの派閥に分裂しました。

シーア派は、ムハンマドと血のつながりのあるアリーとその子孫から選ぶべきという血族主義なのに対し、スンニ派は、血のつながりには、こだわらずに話し合いで決めるべきだというスタンスです。

②シーア派とスンニ派との教義の違い

スンニ派とシーア派では、お祈りの回数が異なる他は基本的には大きな差はありません。
ただ、スンニ派が慣行(スンニ)を重視する現実主義的なのに対し、シーア派は現実より理想が支配すべきだとする理想主義的という違いがあります。

つまり、スンニ派は、所詮、人間がやることなので多少の過ちはあるのは仕方がない、過ちがあったらその都度、修正していけば良いというスタンスなのに対し、シーア派は、可能な限り理想とするムハンマド時代に近づけるよう努力すべきだ、現実ではなく理想を目標にしていかなくてはダメだというスタンスです。

逆にお前たちの教義や礼拝の仕方がおかしいとはお互いにはいっていないのです。
そういう意味でシーア派とスンニ派との教義の違いには深刻な対立はありません。

実際、シーア派とスンニ派の信徒間で結婚することは珍しくないということです。

③シーア派とスンニ派の歴史と信者の割合

10,11世紀頃には、シーア派が多数を占めたことがありましたが、現在はイスラム教徒のうち、約9割がスンニ派、1割がシーア派となっています。



④シーア派が多い国とスンニ派が多い国

・シーア派が多い国
イラン、アルゼバイジャン

・スンニ派が多い国
サウジアラビア、トルコ、パキスタン、インドネシア等多数

④シーア派とスンニ派が対立する背景

シーア派大国のイランは、イスラム教を産み出したアラビア民族の国ではなく、また異民族のスンニ派のトルコに支配されたことを通じて、スンニ派に嫌悪・違和感を抱いたことでシーア派に傾倒していきました。

近代では、1979年にイラン革命によって人口8000万の中東一の大国イランがシーア派の宗教指導者が国全体を支配・指導するイスラム教シーア派国家となったことが一大転機になりました。

イラン革命が自国に影響を及ぶことを警戒され、今に至るまで特にアラビア民族のスンニ派を主流とする国々と険悪な関係が続いています。

シーア派とスンニ派が対立する背景としては、教義の対立というより、民族間の対立や権力者同士の軋轢、経済的利益を巡る対立が大きいとされています。

⑤シーア派とスンニ派の対立が紛争・戦争に結びついた事例

1980年に勃発した、イラン・イラク戦争は、イラク国内のシーア派を抑圧していた当時のフセイン大統領イラク政権が前年に起きたイラン革命の自国への影響を恐れ攻撃をしかけることで始まりました。

フセイン大統領からすると革命間もなく混乱状態のイランを攻撃すれば勝機があるともくろみましたが、戦争は88年まで続くことになりました。

これは、人類史上初の社会主義国誕生に結びついたロシア革命直後のソ連に革命の自国への影響を恐れて、イギリスやアメリカ、日本等が干渉するため軍隊を送ったのと同じ構図です。

イラン・イラク戦争は、結局、痛み分けのような形で終結。
膨大な戦争被害者を出し、両国に大きな傷跡を残しました。

このイラン・イラク戦争がシーア派とスンニ派の対立が根底にあったために起きた戦争です。

⑥シーア派とスンニ派の対立の現状

2016年にスンニ派大国を自認するサウジアラビアとシーア派大国のイランが断交する等、険悪な状況になっています。

背景としては、サウジアラビア、イラン両国と敵対関係にあったイラクの弱体化、つまり”敵の敵は味方”ということで関係性を得ていたサウジアラビアとイランが敵を失ったことで、皮肉なことに対立するようになったことにあります。

また、2011年に始まったアラブの春による混乱やオバマアメリカ大統領のイラン宥和政策で、中東全域でイランの影響力が強まったことがあります。

ただ、対立の背景は、権力者同士の権益争いが根本でシーア派とスンニ派の教義の違いといったことが理由になっているわけではありません。

つまり、自国の影響力拡大を競う、権力者が”シーア派とスンニ派の対立”と称して、緊張を高めている側面が大きいのが現状です。

ただ、イランが革命の輸出を公言したり、核開発をしていることが対立を生じさせていることは間違いないと思います。

トランプ大統領がイラン敵視政策に転じたことで、また状況は変わりつつあります。



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