ソビエト連邦が崩壊した理由をソ連をリアルタイムで知る筆者がわかりやすく説明

歴史的用語の解説・説明

筆者は、1970年代以降、現在のロシアがソビエト連邦といわれていた時代をリアルタイムで知る世代です。
その視点からソビエト連邦が崩壊した理由をわかりやすく説明します。

ソビエト連邦が崩壊した理由としては、以下の要因が積み重なり、特に経済的に破綻したことが理由といえます。

①ロシア革命時点においてすでに政権運営に問題点があったこと
②ソビエト連邦時代の計画経済による国家運営に問題があったこと
③ソビエト共産党一党独裁の弊害
④アメリカのレーガン政権による軍備増強
⑤ゴルバチョフ書記長の政権運営の失敗

ソビエト連邦が崩壊した理由は、結論から申し上げますとロシア革命当初から存在していました。
具体的には以下のような問題点です。



ソビエト連邦のロシア革命時点における問題点

①経済的な問題点
ソビエト連邦は農業国ロシアの社会・経済制度の上に誕生しました。

共産主義の提唱者、カール・マルクスによれば、共産主義国家は、ドイツやイギリスのような先進資本主義国から誕生すると予測していました。

先進資本主義国から革命を経て、共産主義に移行すれば、それまでに築かれた工場等の生産設備を引き継ぐことが出来るので、経済運営が効率的に進められる と考えていました。

しかし、ロシア革命時のロシアは農業を主体とする後進国でした。

従って、ソビエト連邦は工場のような生産設備を整備するところから共産主義国家建設を始めなければなりませんでした。

また、資本主義体制でもっとも重要な市場機能(モノの値段は市場における需要や供給のバランスで適正な価格に落ち着く)を
当時のソ連の指導者が理解していなかったため、1970年代になっても慢性的なモノ不足に国民が悩まされていました。

1970年代のテレビや新聞で報道されるソ連は、”モノ不足で行列する国民の姿”が定番となっていました。
また、外国のテレビ局がマイクを向けても”言いたいことも言えない”ような雰囲気が伝わってくるのが常でした。

遠目からみてもソ連という国がうまくいっていないことは、筆者を含め当時の多くの日本国民が感じていたと思います。

②政治的な問題点
カール・マルクスによれば、共産主義社会では労働者階級が権力を握るとしていました。

しかし、ロシア革命の指導者はレーニンをはじめとして、共産主義思想に共鳴する理論家・活動家がほとんどで労働者階級とはいえない集団により共産主義国家ソビエト連邦が運営されることになりました。

つまり、いちども労働者として働いたこともなければ農民になったこともないようなプロの活動家・革命家が政権を握った時点で”共産主義社会では労働者階級が権力を握る”というカール・マルクスの共産主義理論から逸脱していたといえます。

また、ソビエト政権を転覆させようとする反革命運動に対抗するために秘密警察(後のKGB)を創設したことで、労働者階級を含む国民の人権をないがしろにするようになりました。

このようにロシア革命は、帝政ロシア時代に皇帝が権力を意のままに行使していたのが、ソビエト共産党に代替わりしただけということになり、言論の自由をはじめとした基本的人権は革命前よりも侵害されるような政治体制となっていきました。

こうした体制の最大の問題点は、そもそも政権が国民にどれくらい支持されているのかわからないこと, 国民が何に不満を持っているのかわからないこと。にあります。

このような永年にわたる、国民の不満が1980年代後半以降、一挙にブレークしたことがソビエト連邦が崩壊した大きな理由の一つになっています。

テレビや新聞で報道されるソ連は、”国民を縛り付ける体制”というように当時の日本国民の多くが感じとっていました。

ソ連崩壊に続き、体制が崩壊、政権を投げ出した東ドイツ(ドイツ民主共和国)の首脳の一人は、”結局、教科書(マルクスレーニン主義)が間違っていたから崩壊した”といみじくも言っていたことが今でも記憶に残っています。

東ドイツは、当時、数多く存在した共産主義国家のなかで優等生といわれるほど経済運営がうまくいっていると評価されていました。

その国でさえ崩壊したということで、そもそも”教科書(マルクスレーニン主義)が間違っていたから、ソ連をはじめとした共産主義国家が失敗・崩壊した”という見方も出来ると思います。




ソビエト連邦が崩壊した理由を経済面からわかりやすく説明

(社会主義経済にそもそも欠陥があったことが原因とされることについて具体的に説明)
①ソビエト連邦時代の計画経済の欠点とは
社会主義経済とは、物の生産から消費までを国家がすべて計画的に管理し、国民はそれを平等に享受する経済、すなわち、計画経済のことをいいます。

計画経済の欠点は、その非効率性にあります。

国家が生産から消費を管理するということは、資本主義経済では当たり前の市場原理が全く機能しないことを意味しています。

ネクタイを例にすれば、社会主義経済体制では、”2022年にネクタイを1000万本生産する”というような計画はたてられますが”2022年に20代のビジネスマンに好まれるお洒落なネクタイを100万本生産する”ということは出来ないのです。

ですので仮にソ連が崩壊せずに今も存在していたとしても、アップルが開発したアイフォンのような製品は絶対に開発できなかったと思います。

つまり社会主義経済の最大の欠点は、鉄鋼のような既に存在するものについての生産計画・目標のようなことについては機能するものの
”今現在は存在しないけれど、開発すれば相当の需要が見込めるモノを開発し、生産する”というようなことに全く対応できないことにあります。

逆に軍需産業のように”戦車を今年、2000両製造する”というようなことにはマッチしていたため、ソ連が軍事大国になることができたのです。

このように、そもそもどこにどんな需要があり、どこに供給すればいいのかの判断を国家が行うという社会主義経済には重大な欠点があったといえます。

このような計画経済を中心とする社会主義経済体制の下、ソビエト連邦の経済は資本主義国家に比べて、大きな後れをとることとなったのです。

この点、同じ共産主義国の中国は、改革派の最高実力者鄧小平氏が”社会主義経済の弱点を見抜き、積極的に外国資本を導入する等、経済の資本主義化に舵をきったこと”が現在の経済大国化に結びつきました。

②社会主義経済の自由より平等を優先する経済システムの欠点とは
社会主義経済は、国がすべてのモノやサービスを平等に国民に分配することを目的としています。

すべての国民が平等に分配を受けられることは、とても理想的な福祉国家のようにも思えます。

しかし、このような平等を優先する経済システムには大きな欠点があります。

それは、どんなに努力して働いた人でもそうでない人でも、受け取れる対価を同じにしてしまうことです。

これではどんなに努力して働いてもその分が報われることはありません。

そして、次第に国民の働く意欲は減少していき、生産性も全く上がることはありませんでした。
このような非生産的な経済システムも、ソビエト連邦が崩壊した一つの原因と言われています。



ソビエト連邦が崩壊した理由を政治面からわかりやすく説明

①ソビエト共産党一党独裁の弊害について
当時のソビエト連邦は共産党の一党独裁体制でした。

民主主義国家と違い選挙もなく、政権交代などもありません。

また、情報はすべて国家によって管理され、自由な情報の流通も認められてはいませんでした。

民主国家のような政党間による自由な審議・討論などは皆無であり、国家の成長は低迷している状態だったといえます。

また、国民による政権批判は当然禁止され、国民による政権への監視機能はほぼありません。

結果、権力は腐敗し、汚職が蔓延しているような状態だったのです。

②西欧諸国の情報をコントロールできなくなった理由・背景
1985年に書記長となったゴルバチョフは、停滞していた経済の打開を図るため、ペレストロイカ(改革)を実行しました。

そして、ペレストロイカを実行していく上での重要な柱となったのが、グラスノスチ(情報公開)です。
このグラスノスチにより、今まで制限されてきた情報の自由な流通や、報道の自由が広く認められることとになりました。

西側諸国などの情報も国内に入ってくるようになり、今まで国家に独占されていた情報なども国民に知れ渡るようになりました。

また、国民が今まで知らなかった外の世界を知るきっかけともなったのです。

当時のソ連国民は西側の情報を通じて、”自分たちの国がうまくいっていない”ことを膚で感じるようになりました。

その結果、政府にとって不都合な情報も流通し始め、共産党の一党独裁体制の存立自体も危うくなり、そして、ソビエト連邦の崩壊までに至ったのです。

アメリカのレーガン政権による軍備増強

2022年にロシアがウクライナに侵攻、世界を驚かせると同時にロシアの軍事力に対する警戒が高まりました。

しかし、1970年~1980年代のソ連の軍事力は今のロシアよりはるかに脅威でした。
1980年ごろにはソ連の軍事力はアメリカ以上ともいえました。

1981年1月に共和党の反共・対ソ強硬派のロナルド・レーガンがアメリカ大統領に就任。

レーガン大統領は、ソ連を「悪の帝国」と名指しで非難、「力による平和」と称される外交戦略でソ連に対決する姿勢を鮮明にしました。

1983年3月には、スター・ウォーズ計画といわれた戦略防衛構想により、国防費を大幅に増額。
ソ連に軍事的な圧力をかけました。

対してソ連は、アメリカに対抗するようにさらに国防費を注ぎましたが、経済的・財政的に余裕があったアメリカに比べ、経済的に苦境にあったソ連は、国家財政破綻寸前までに追い込まれました。

ソ連は、様々な理由で崩壊しましたが、事実上、共産主義国家として失敗、左前状態ともいえたソ連にアメリカのレーガン政権が軍事的増強をしかけたことが崩壊の道を開いたといえます。

こうした状況で1985年3月にゴルバチョフが書記長に就任しました。
ゴルバチョフは、「ペレストロイカ(構造改革)」や「グラスノスチ(情報公開)」といった改革路線を始めました。

当時、ソ連の政治家というと夫人が誰なのかもわからなかったり、死んでも本当に死んだのか、いつ死んだのかわからないというようなことが通り相場で秘密主義がはびこっていました。

しかし、ゴルバチョフ書記長は全く違いました。

公の場に夫人と頻繁に登場したことで欧米諸国を驚かせたものです。

ゴルバチョフ書記長は、それまでのソ連の指導者と異なり、”ソ連がダメな国家”ということを自覚していました。

だからこそ、「ペレストロイカ(構造改革)」や「グラスノスチ(情報公開)」といった改革路線でソ連という国を立て直し、西側諸国に追いつこうとしたのです。

ゴルバチョフ書記長の政権運営の失敗

ゴルバチョフ書記長が始めたペレストロイカとは、経済システムの中に自由主義的な要素を取り込むことで、停滞していた経済からの脱却を図ることが目的でした。

しかし、計画経済の下、硬直化していた企業は続々と廃業へと追い込まれることになり、停滞していた経済は更に悪化することになりました。

その結果、国民の不満は高まり、政府に対する抗議運動が頻繁に起こるようになりました。

また、バルト三国などのソビエト連邦構成国の独立運動を誘発するきっかけにもなったのです。

その後、国民の共産党一党独裁体制に対する抗議運動や独立運動が収まる気配はなく、1991年、ゴルバチョフ書記長の辞任とともにソビエト連邦は崩壊しました。

本来、ソビエト連邦の経済を再興することを目的として行われたはずのペレストロイカが、皮肉にもソビエト連邦崩壊のきっかけになったと言われています。

まとめ

ソビエト連邦が崩壊した理由は一つに集約されるのではなく、主として以下の5つの理由から崩壊しました。

①ロシア革命時点においてすでに政権運営に問題点があったこと
②ソビエト連邦時代の計画経済による国家運営に問題があったこと
③ソビエト共産党一党独裁の弊害
④アメリカのレーガン政権による軍備増強による経済・財政の疲弊
⑤ゴルバチョフ書記長の政権運営の失敗

ただ、ソ連が崩壊する過程をリアルタイムで見つめてきた筆者からすると”そもそも共産主義体制には経済的にも政治的にも重大な欠陥があった”から崩壊したと考えています。

これは、当時の日本国民のみならず全世界の人々が感じとっていたことだと思います。




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