リベラルという言葉は、最近、政治に関するニュースでよく目にします。
言葉の響きが良いためか、何となくクールな感じがすると捉えている人も少なくないようです。
でも、このリベラルという言葉ほど、一見わかりやすいようでわかりにくい言葉もないと思います。
そこで、リベラルの本来の意味について、他国の事例を交えてわかりやすく説明します。
リベラルというと政治用語に分類されがちですが、リベラルな校風、リベラルな家庭というように学校や家庭についても用いられることもあるように本来、政治に限定された言葉ではありません。
皆さんの周囲にも少なからず”歴史や習慣にこだわらない人”がいらっしゃると思いますが、そのような人を”リベラルな考え方の人”というような言い方をします。
また、”あの学校の校風はリベラルだから服装は自由”というような使われ方もします。
以上のようにリベラルは、頻度は高くないものの日常生活にも使用されることもありますので、決して政治用語ではありません。
正しくはリベラルは、政治的な立場を表現するときにも用いられるというのが実情です。
最近、政治用語として使用されることが多いリベラルですが、その本来の意味とは異なる使われ方をしているケースも見受けられます。
そこで、政治用語としてのリベラルを簡単に説明します。
リベラルとは?保守とどう違う?
政治用語としてのリベラルは、学校をイメージするとわかりやすいかもしれません。
私立に多いリベラルな校風の学校では、”校則も制服もない、髪型も自由と生徒の個性や自主性を出来る限り尊重し、干渉しない。”というスタンスです。
リベラル政治では生徒と国民という違いはありますが、基本的には同じようなスタンスです。
具体的には、思想やライフスタイルのような個人の内面から生じる問題については、国家が出来るだけ関与せず、国民の自主性を尊重するというような信条によって政権・国家を運営します。
ですので、リベラルで最も重要なことは”個人の自由”の確立です。
そのため、リベラルは、”国家権力からの自由”と”個人の自由の確立”に重きを置いた政治を志向します。
国家権力からの自由とは?
国家権力は、個人の思想等の内面に関わる事柄、私有財産等の財産権等については、出来るだけ関与せず、個人の自由に委ねるべきだというスタンス。
個人の自由の確立とは?
個人の自由の確立のためには、可能なかぎり、経済的な利益を国民に等しくいきわたらせる必要があり、そのために、リベラル派の政権では、大企業や富裕層から税を多く徴収することで格差を最小限にしようとする国家運営をします。
政治用語としてリベラルの反対語は、保守(コンサバ)になります。
保守は、リベラルと異なり、自由より秩序を重視する政治を意味します。
保守政治を支持する人は”国家があまり個人を自由にしすぎると無秩序・めちゃくちゃになりがち”という考え方をする傾向が強いです。
要するに”リベラルとはまず個人ありきなのに対し保守はまず国家ありき”という違いがあります。
アメリカではリベラルを信条とする民主党と保守を信条とする共和党の2大政党が、4年に一度の大統領選を通じて、政権交代を繰り返しています。
そういう意味でアメリカ政治はリベラルによる政治がどんなものなのか、保守による政治と比較しつつ学べる良い事例といえます。
そこで、アメリカにおけるリベラルと保守の違いについてわかりやすく説明します。
アメリカ政治におけるリベラルと保守の違い
アメリカにおける民主党(リベラル)の政治の特長
民主党が政権を運営していたオバマ前大統領時代、
リベラル政治の重要な要素である国家権力からの自由に関しては、
同性愛や妊娠中絶等ライフスタイルに関するような事項については、個人の自由な判断に任せるというスタンスでした。
その一方で、個人の自由の確立のために、大企業や富裕層には増税を実施。
さらに、低所得者には医療費の負担が大きい健康についても日本型の国民健康保険制度を導入と国民の間の経済的な格差にメスをいれました。
このように、思想やライフスタイルについては、原則不介入で寛容。
経済的な格差については積極的に介入するというリベラルを信条とする政治の特長が顕著に現れています。
アメリカの民主党政権の国家運営は、リベラル政治の教科書的な存在といえます。
アメリカにおける共和党(保守)の政治の特長
現在のトランプ大統領の共和党政権は、ちょうどオバマ前大統領時代の政治をすべてひっくり返したような政治運営となっています。
具体的には、大企業に対する大幅な減税。同性同士の結婚の禁止等、リベラル政治と全く逆なことをしています。
このような保守志向による国家運営について、多くのアメリカ国民の支持があるのも事実で、”民主党政権によるリベラル政治的な国家運営は、国を無秩序状態にする”と忌み嫌うアメリカ人も多いのです。
このようにアメリカではリベラルと保守による政治は、全く違ったものになっています。
日本の政治における本来の意味での保守とリベラルという対抗軸は、アメリカとは違い、同じ政党の自民党の中で党内派閥として存在しています。
もともと自民党のある派閥を意味していたリベラル派とは?
最近、日本では、リベラル=野党あるいは左派というような捉え方をする報道が目立ちます。
しかし、歴史的には日本の政治でリベラル派といった場合、自由民主党における特定の派閥に属する集団を意味していました。
自民党は、1970年代から1980年代にかけて、党内に田中派、大平派、福田派、中曽根派、三木派という5大派閥が存在していました。
同じ自民党といっても、今の安倍首相一色政権とは異なり、憲法改正派、護憲派あるいは経済重視派、国防重視派等、色分けができるほど、政治スタンスが異なる派閥が混在していました。
5大派閥のうち、大平派、三木派は、護憲派で軍事力は最小限にして経済を重視していくというスタンスから、リベラル派と呼ばれていました。ちなみに現在にも有効な軍事費の膨張を抑止するための”防衛費はGDPの1%以内”という原則は、三木派の首領の三木武夫が首相の時に導入されました。
このとき、この政策に反対する右翼から街頭で三木首相が殴られるという事件がありました。
対して、今の安倍首相の源流にあたる福田派は、憲法改正派・国防重視派で自民党右派あるいは最保守派という位置づけでした。
安倍首相が憲法改正にこだわったり、軍事面を重視しているのは、福田派出身だからです。
このように少なくとも1980年代までは、政治に関してリベラルといった場合、主として自民党の大平派、三木派に属する政治家を意味していました。
ただし、現在の自民党では、リベラル派の勢力が弱まり、現在は岸田派だけとなっています。
そもそも自民党の英語表記は、”Liberal Democratic Party of Japan”というように党名にリベラルがついていますので、自民党がリベラルの本流ともいえるのです。
自民党は、アメリカの民主党と共和党が同居しているような政党ともいえるのです。
しかし、現在では、リベラル=左派・野党勢力というような位置づけが有力となっています。
もともと自民党の護憲派を意味していたリベラルがなぜ、左派あるいは平和勢力のような捉え方をされるのようになったのか?ということについて、わかりやすく説明します。
リベラルは左翼・革新とどう違う?
1980年代まで日本では、自由民主党による保守長期政権が続いていました。
その時の政治的に左翼と位置づけられていた野党勢力は、野党第一党だった日本社会党や共産党を含め、革新陣営と呼ばれていました。
この時代の革新陣営の政治スタンスは、旧ソ連の共産主義的な政治志向に大きな影響を受けていました。
ところが、90年代に入り、そのソ連が崩壊したことで、共産主義的な政治志向に対して否定的な見方が次第に有力となり、左翼、革新という言葉自体も陳腐化。
左翼勢力は、政治的な表看板を失ったのです。
さらに、1993年に自民党が野党に転落したときに、自民党内のリベラル派の有力政治家が新党を結成、野党側に転じたことで、野党・革新の定義そのものが変化していきました。
以上のような国内外の政治状況の変化から、革新に代わる政治的な表看板を探していた野党陣営がたどりついたのがリベラルなのです。
リベラルは、アメリカにおいて保守政治の対抗軸として見習うべき存在ということもあり、左翼陣営にとって、革新にかわる看板になっていきました。
このような経緯から、それまでリベラル=自民党の護憲勢力を意味していたものが次第にリベラル=左翼・左派勢力を意味することに変容していき、現在に至っているのです。
現状の日本のリベラルとは?
現状の日本のリベラル
上記のように日本の政治におけるリベラルの意味するところは変容しています。
現状では、日本でリベラルというと憲法や防衛に関しては
①護憲、特に憲法9条は改正反対
②集団的自衛権の行使反対 というスタンスで
さらに多数者の横暴に陥りがちな民主主義社会の中で、女性、少数者や弱者の声に耳を傾けるとという姿勢が特長となっています。
リベラルとかつての革新と違いとは?
現状の日本政治におけるリベラル勢力は、1980年代ごろまでの革新勢力ほど反政府・反体制志向が顕著でないことが最大の違いです。
かつての革新は、”ソ連型の社会主義社会の方が日本における資本主義社会より優れている”と考える政治家の影響力が強かったため、現在のリベラルよりも、反体制的でした。
自衛隊に例をとると、革新勢力の中では非武装中立を唱え、憲法違反の自衛隊は廃止すべきだという主張も有力でした。
リベラルと共産主義との違い
リベラルによる政治は、基本的な国家体制は維持しつつ、緩やかな改革を進めていくことが特長です。
対して、共産主義は体制そのものを根底から覆すことで、社会を急激に変革することを信条としています。
リベラルが緩やかな改革を志向するのに対し、共産主義は急激な改革を志向するという違いがあります。
ですので、リベラルと共産主義は、基本的には相容れない関係となっています。
リベラルと平和主義との違い
日本のリベラルは、平和主義的な志向が強いですが、海外に目を転じると必ずしもリベラル=平和主義というわけではありません。
世界におけるリベラル派の代表的な存在のアメリカ民主党政権は、過去、第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争とアメリカが関係する大きな戦争を引き起こしています。
歴史的にみるとすぐ戦争をしかけそうなトランプ大統領の共和党政権より、好戦的ともいえるのです。
ですので、リベラル=平和志向、平和主義的とは必ずしもいえないのです。
むしろ、リベラル=平和主義と捉えがちな日本の方が世界的には少数派といえます。
これは、リベラルがそもそも同じ政治用語でも共産主義のように”共産主義社会の実現を目指す”というような明確な方向性を持っていないことに原因があります。
まとめ
①リベラルは、”思想やライフスタイルのような個人の内面の問題については、国家が出来るだけ関与しないというような政治志向”を意味します。
②日本政治にけるリベラルは、元々は自民党の護憲派を意味していましたが、最近では、左翼・左派勢力を意味するようになってきています。
③リベラルと共産主義は、前者が国家体制は維持を前提に改革を進めようとするのに対し、後者は国家体制そのものを覆すことで、社会を急激に変革しようと考えていますので、政治的に相容れない関係にあります。
④世界的にみると必ずしもリベラル=平和主義というわけではありません。
上記のようにそもそもリベラルという言葉自体が曖昧なため、今後もリベラルの位置づけが変わって行くのではないかと思います。
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