伝説のスナイパー【シモ・ヘイヘ】冬戦争での活躍からその凄さを解説します!

歴史的な出来事・事件の解説

シモ・ヘイへは1939年~1940年にソ連がフィンランドに侵攻した「冬戦争」で活躍した伝説のスナイパーです。

平均気温-20度から-40度の極寒で真っ白なギリースーツに身を包み、淡々と百発百中で敵を狙撃する姿から「白い死神」と呼ばれ、ソ連軍から畏怖される存在でした。

今回はそんなゲームのチートキャラのような存在シモ・ヘイへについて、冬戦争での活躍を中心に解説していきたいと思います。



シモ・ヘイヘ:どんな人だったのか?

史上最多の狙撃記録を持ち、フィンランドでは知らない人はいないシモ・ヘイへですが、活躍のわりに非常に物静かな性格だったと言われています。

冬戦争の時は自分の戦果は報告せず、功績なども自身の上司であるユーティライネン中尉が従軍記者に語らなければわからないままだったそうです。

また控えめなところもあり、記念写真を撮る時は常に後列か他人の影に隠れて写るような人でした。

しかし愛国心はとても強く、冬戦争でソ連に占領されたカレリアを取り戻したいと終生思い続けます。

カレリアはフィンランド南東部からロシアの北西部にまたがる森林と湖沼が広がる地方で、フィンランド人にとっては魂の故郷なのです。

シモ・ヘイヘは無口で目立たない存在であろうとはするけれど、心は他のフィンランド人と同じく、愛する祖国のために命をかける強い気持ちを持った人物なのです。

シモヘイヘ:経歴

シモ・ヘイヘは1905年にフィンランドのラウトヤルヴィで生まれ、猟師兼農家の家庭で育ちます。

猟師の家庭で育ったため、子供の頃から銃の扱いには長けており、さまざまな射撃の大会に出場しては優勝していました。

1925年になると15ヶ月の兵役義務によりフィンランド国防陸軍に入隊し、兵役期間が終わった後は予備役となり民間防衛隊に入隊します。

そして1939年予備兵長として冬戦争に招集され、そこでの戦果が認められ、一気に5階級の特進を果たします。

冬戦争が終わった後は独身のまま猟犬の繁殖や猟をして過ごし、2002年4月1日に息を引き取りました。

シモ・ヘイヘ:能力

軍隊での狙撃訓練中にシモ・ヘイヘは150mの距離から、1分間に16発もの射的に成功したと記録に残っています。

当時シモ・ヘイヘが愛用していた銃のタイプは、ボルトアクションライフルという1発ずつ手動で装填する銃で、脅威的な速度と精度を持っていたことがよくわかります。

実戦では300m以内ならほぼ確実に敵の目標を正確に狙えると伝えられています。

一方体型は小柄で、身長も152cmしかありませんでした。
しかしながら、120cmもある銃を手足のように扱っていたのだから驚きです。

シモ・ヘイへの脅威的な狙撃技術は、ケワタガモ猟で身につきました。
ケワタガモは北極海の周辺に広く生息する野鳥で、良質な羽毛が採取できるため狩猟対象とされていた鳥です。

ケワタガモは時速約76kmで飛行する非常に素早い鳥で、かつ羽毛を傷つけないようにするため頭だけを狙う必要があり、かなり難易度の高い狩猟対象でした。

フィンランドにはシモ・ヘイへの他にも優れたスナイパーがいましたが、いずれも子供のうちからケワタガモ猟で射撃技術を培ったと言われています。



シモ・ヘイヘ:冬戦争での活躍

冬戦争は第二次世界大戦の勃発から3ヶ月後の1939年11月30日に起こった戦争です。

スターリン率いるソ連が大軍でフィンランドに侵攻しましたが、フィンランドは粘り強く抵抗し、多くの犠牲を払いながら独立を守りました。

ここからは冬戦争が起こった背景も交えて、シモ・ヘイへの活躍について解説していきます。

冬戦争が起こった背景1:植民地化されていたフィンランド

フィンランドは元々は隣国スウェーデンの一部でしたが、ヨーロッパ圏とロシア圏の狭間にある緩衝地帯だったので、常にロシアから狙われる存在でした。

スウェーデンは何度もロシアに戦争で負けており、1808年にはロシアにフィンランドを占領されてしまいます。

この時フィンランドを統治したロシア皇帝アレクサンドル一世は非常に温厚な人物で、フィンランド人に自治権を与えたため、平和な時代が100年近く続きました。

しかしロシア最後の皇帝ニコライ2世の統治によって状況が大きく変わります。

ニコライ2世は不安定化するロシア帝国内外の動きを警戒して民族統制を強め、フィンランドに対しても自治権の廃止を決定し、植民地として扱ったのです。

苦難の時代は長くは続かず、帝政ロシアは日露戦争によって弱体化し、第一次ロシア革命によって倒れた隙をついて、フィンランドは独立宣言を出しロシア支配からの脱却を図ります。

冬戦争が起こった背景2:フィンランドの独立

独立宣言を出して一安心かと思いきや、フィンランド国内ではロシアの共産主義勢力とフィンランド側の政府勢力が対峙し、内戦が起きてしまいました。

国家が分裂する危機のなか、卓越した指揮官「マンネルハイム」が優れた戦術で徐々に状況を回復し、1918年5月には政府軍に勝利をもたらし内戦を終結させます。

政治家としても有能なマンネルハイムは、1920年にソ連との条約によって国境線を確定し、1932年にはフィンランドとソ連の間に不可侵条約を結ぶことに成功します。

けれどソビエト政権がレーニンからスターリンへと移ると、状況は目まぐるしく変わりました。

スターリンは再びフィンランドを占領しようと、今度はドイツと手を組みます。

手を組んだ理由は、当時ドイツは東方に領土を拡大したいと考えており、東欧の共産主義化を目論んでいたソ連と思惑が一致したからです。

そして1939年には独ソ不可侵条約条約を締結し、その中には以下の3つの秘密協定も含まれていました。

・独ソ両国でポーランドを分割すること
・バルト3国(エストニア・ラトヴィア・リトアニア)はソ連が併合すること
・フィンランドをソ連の支配下におくこと

やがて1939年9月にドイツがポーランドへ侵攻し、それに呼応するかのようにソ連も東側から侵入、瞬く間にポーランドは敗北し、独ソによって分割統治されてしまったのです。

そしてバルト3国もソ連に屈し、駐留を認める条約を結ばされました。

東欧諸国が支配下に置かれているなか、すぐさまフィンランドにも「ソ連の駐留」と「領土の一部支配」という理不尽な要求が突きつけられます。

しかしフィンランドはこれを拒否したため交渉は決裂し、やがて冬戦争へと繋がっていきます。



フィンランドとソ連の圧倒的な戦力差

冬戦争の勃発はソ連の裏工作による砲撃事件がきっかけでした。

1939年11月26日午後、カレリア地峡付近にあるマイニラ村で、ソ連軍13名が死傷する砲撃事件が発生したとソ連側から発表されます。

これはソ連が自軍に向けて故意に発砲したにもかかわらず、裏工作によりフィンランドのせいにされ戦争のきっかけとなった事件です。

1939年11月30日に、ソ連は大軍を率いてフィンランドに攻め込んできました。

ソ連側の軍隊の数は、兵力45万人、戦車2380両、航空機670機、大砲約2000門でした。

対するフィンランドは、兵力20万、戦車30両、航空機130機で、旧式の装備しかありません。

ソ連は圧倒的な戦力差に数日で決着がつくと判断し、冬用のコートすら持ってきませんでした。

フィンランドは、ソ連と真っ向からやり合わず体力を温存しながら勝機をうかがいます。
そして戦闘から数日たった12月5日に襲来した大寒波を生かして、雪の中に溶け込み奇襲攻撃を行うモッティ戦術を駆使して粘り強く善戦していくのです。

コッラー川の奇跡

さて前置きが長くなりましたが、ここからシモ・ヘイへの活躍について説明していきます。

シモ・ヘイヘは冬戦争で予備役兵長として招集され、フィンランド国防陸軍第12師団第34連隊6中隊に配属されました。

任務はシモ・ヘイヘの故郷に近いコッラー川周辺での防衛でした。

ユーティライネン中尉はシモの能力を高く評価しており、彼の能力が最も発揮できる狙撃兵の任務を与えます。

この時ソ連はコッラー川を突破するために約6万の兵力を投入し、これを2000人ずつ川に分散させて進軍していきました。

コッラー川を防衛するフィンランド軍はわずか2000人で、シモが防衛している位置には4000人のソ連がいるのに、たった32人で戦わなければならない状況となりました。

ここからシモ・ヘイヘの伝説的な活躍が幕を開けます。

ソ連は数の力で攻め切ろうと人海戦術でシモのいる丘へ突撃しますが、ことごとく撃ち落とされてしまいます。

敵が戦車を出せば戦車長を狙い、戦車に火炎瓶を投げて破壊。

ソ連の部隊がバラバラになったら、それも次々と狙撃。

敵が300m離れていても確実に狙ったところへ命中させるほどの力量があったと半ば伝説化しています。

シモ・ヘイヘの活躍は3ヶ月ほどでしたが、狙撃だけで500人以上を倒した功績は何十年も語り継がれています。

さしずめ、フィンランドにとって、日本でいえば剣豪宮本武蔵のような存在だったのかもしれません。

シモ・ヘイヘがいる丘に近づくと確実に身の危険にさらされるということで、彼のいる丘は「殺戮の丘」と呼ばれ、ソ連軍からは大変恐れられていました。

その他のフィンランド軍の部隊も屈強だったため、コッラー川は終戦まで持ち堪えることができたことから、この戦闘は「コッラーの奇跡」として名を残しました。



シモ・ヘイヘ:顔の歪み

重大な脅威であるシモ・ヘイヘを排除しようと、ソ連軍は大砲による攻撃などの対策を講じました。

その甲斐があってか終戦1週間前、1940年3月6日にシモ・ヘイへは、ソ連軍の銃撃により顎を撃ち抜かれる重傷を負ってしまいます。

銃撃を受けた時は意識不明の状態で、友軍に救出された時は顔が半分なくなっていると言われるほど深い傷だったそうです。

幸い一命を取り留めましたが、顎には生涯消えない傷跡が残り、特徴的な歪みのある顔となりました。

病院へ搬送される時は、初めは軍の小舟に仰向けに乗せられていましたが、出血がひどく窒息の恐れがあったため、うつ伏せの状態で運ばれたそうです。

またコッラー川で一緒に戦っていた仲間にはシモ・ヘイヘの戦死が伝えられ、病院ではお葬式が行われました。

しかし葬式の最中にシモ・ヘイへがまだ生きていることが判明したと、晩年のインタビューで本人が語っています。

負傷してから1週間後の3月13日に意識を回復しましたが、その時はすでにモスクワで講和条約が締結され冬戦争は終わっていました。

講和条約の内容には、フィンランドの国土の一部を割譲するという屈辱的な条件があり、この内容がもとでフィンランド国民は精神的にショックを受け、のちの継続戦争へと繋がっていきます。

シモ・ヘイヘも継続戦争への参戦を希望しましたが、度重なる手術により、その希望は叶いませんでした。

シモ・ヘイヘが登場する作品

狙撃手として世界一の記録を持つシモ・ヘイへは、真っ白なギリースーツという特徴的な外見から「白い死神」「災いをなす者」と呼ばれソ連軍から恐れられました。

その伝説的なエピソードゆえ、小説や漫画などさまざまなエンターテイメントで人気を博しています。

終末のワルキューレ

現在一番有名なのは、神々と人類が戦うアクション漫画「終末のワルキューレ」ではないでしょうか?

誰もが知っている有名な神々と偉人たちが戦いを繰り広げ、その中にはシモ・ヘイヘも組み込まれています。

アニメも放送され、第2期の制作も決定している人気沸騰中の作品です。

氷風のクルッカ

冬戦争に猟師の少女が性別を偽って入隊し、狙撃兵として成長していく話です。

日本の作家・柳内たくみによるライトノベル作品で、シモ・ヘイへやユーティライネン中尉など実在の人物が登場することも見どころです。

白い魔女 美しきスナイパー

シモ・ヘイヘを女体化した作品で、敵側のスナイパーもすべて女性という設定になっているバトル漫画です。

繊細な絵柄が美しく、複雑に入り組んだ冬戦争の内容についてもわかりやすく理解できるようになっています。

まとめ

今回はシモ・ヘイへの活躍だけではなく、冬戦争が起こった背景についても解説していきました。

冬戦争の後日談については、最高司令官マンネルハイムはフィンランドに有利な条件で交渉を進め、1940年1月末にはソ連から和平交渉の打診を受けるまでになります。

そして同年3月6日には停戦協定に達しましたが、その代償は非常に大きく、フィンランド軍の死者は2万7千人、ソ連軍の死者は12万人以上と言われています。

現在のフィンランドの平和な日常は、シモ・ヘイへを始めとする大勢の活躍と犠牲によって成り立っているのだとまざまざと感じされる出来事だと思いました。




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