藤井聡太2冠の王位戦での封じ手がヤフーオークションで高値がついたことで、封じ手に対する関心が高まっています。
封じ手とはについて、アマ3段の強豪?である筆者が将棋タイトル戦の例をもとにわかりやすく説明します。
要するに封じ手とは
封じ手は、将棋のタイトル戦のうち、対局が2日にわたる竜王戦・名人戦・王位戦・王将戦の七番勝負で行われるもので、要するに1日目の最後の指し手を、対局相手に知られないようにするために行われます。
逆にプロ将棋界のトップが競う名人戦の予選を兼ねたA級順位戦は、1日で対局の決着がつきますので、封じ手は行われません。
具体的には以下のような流れになります。
・対局1日目
1日目の所定の時刻に手番の対局者が最後の一手を盤上に指す代わりに所定の様式の用紙に記入。
※封じ手の時刻は18時もしくは18時半となっています。
その後、用紙を封筒に入れて、立会人、両対局者の署名をして封印することで、対戦相手にどんな手を指したのかわからないようにします。
封じ手は、必ず2通作成し、立会人と対局会場がそれぞれ保管します。
・対局2日目の流れ
①2日目の対局再開時にまず、両対局者は1日目の終了局面を盤上に再現。
②再現後、立会人が2通の封筒を持って対局者の近くに座ります。
対局者の目前で封筒から記入用紙を取り出し、2枚とも同じ内容であることを確認。
立会人が「封じ手は○○です」と宣言。
③封じ手をしなかった棋士に宣言内容と記入した内容が一致しているか確認。
④封じ手をした棋士が封じ手を盤上で指します。
【豊島将之竜王に羽生善治九段が挑む第33期竜王戦七番勝負】(第1局・渋谷対局)–二日目
先程開封された羽生九段の封じ手(▲2七同飛)です。#竜王戦 #七番勝負#豊島将之 #羽生善治#封じ手 pic.twitter.com/5L3gGbzUn3
— 読売竜王戦【公式】 (@yomiuri_ryuo) October 10, 2020
ことで2日目の対局が開始されます。
封じ手は、2日制のタイトル戦の他に、将棋のイベントでの公開対局において、次の一手を当てるためのクイズの題材にするために行われることもあります。
藤井2冠の王位戦での封じ手がオークションにだされ、高額で落札、話題になりました。
藤井2冠が、最初にタイトルを獲得した棋聖戦は、1日制のタイトル戦のため、そもそも封じ手はありませんでした。
なぜ封じ手が必要なのか?
もし、封じ手という仕組みがないと1日目の最後の手をみた対局相手が翌日の開始時間まで、次の展開を延々と読むことが可能になり、不公平だからです。
封じ手は1927年に当時の報知新聞の記者によって発案・導入され、現在に至っています。封じ手が棋士ではなく、記者からの発案ではじまったというのは興味深いことです。
封じ手はどちらがするのか?
竜王戦・名人戦・王位戦・王将戦では、封じ手を行う時間があらかじめ決められています。
具体的には、名人戦(18時30分)、竜王戦、王位戦、王将戦(18時)となっています。
従って、その時間内に手番となっている棋士が封じ手をすることになります。
ですので、先手番・後手番とは無関係に封じ手番は決まります。
昼休みに封じ手をしない理由とは?
実際の対局では、昼休み直前に指した手は、相手の対局者に持ち時間外である昼休み中考えられることになります。
従って、昼休みにも封じ手が必要では?という考えもなりたちます。
ただ、現状では、”昼休みには封じ手をしない”現状が続いていますし、棋士の間から
”昼休みにも封じ手を”という声も聞こえてきません。
本来の封じての意味からすると昼休みに封じ手をするべきではとなりますが、そうしないのはせいぜい1時間程度の昼休みのために封じ手をするのは手間がかかりすぎるという理由が大きいようです。
封じ手の有利・不利はどうか?
プロの将棋に限らず、将棋では先手が後手よりやや有利というのが定説となっています。
それに対し、封じ手の有利・不利については、先手・後手の手番ほどにはどちらが有利ということはないとされています。
封じ手をして、相手に指し手をわからないようにしたところで、プロ同士ですから、ある程度、封じられた手を推測することは可能ですので、封じたほうが有利になるともいえません。
ただ、対局者の心理として、”相手に封じられたくない”というのはあると思います。
ですので、封じ手を巡る駆け引きも見所になります。
まとめ
・封じ手は、将棋のタイトル戦のうち、対局が2日にわたる竜王戦・名人戦・王位戦・王将戦のタイトル決定7番勝負で行われます。
・封じ手を行う時間は、名人戦(18時30分)、竜王戦、王位戦、王将戦(18時)となっています。
・封じ手をする理由は、1日目の最後の指し手を知られることで、翌日の対局再開時まで相手に次の手を考えられてしまうことを防ぐためです。
・封じ手は1927年に当時の報知新聞の記者によって発案・導入され現在に至っています。
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