昭和から平成にかけて、日本では数多くの事件が発生しました。
その中には、多数の目撃情報や物的な証拠があるにも関わらず、
未だ犯人を逮捕できず未解決事件となっているものも存在します。
今回は未解決事件となっているものの中から、
犯行の内容が不可解で動機がわかりにくい事件を10個選び、一つひとつ解説していきます。
一部過激な表現や残酷な描写もありますので、苦手な方は閲覧を控えるようにしてください。
琵琶湖バラバラ殺人事件
琵琶湖バラバラ殺人事件は、2008年5月17日の早朝に滋賀県近江八幡市牧町の湖畔で、
釣り人が人間の右脚を発見したことから発覚した事件です。
集まった遺体を調べた結果、頭部には首を絞められた跡が残っていることから、
殺人事件として調査が始まりました。
被害者は50~60代の男性で、身長は170~180センチ、やや小太り体型のO型だと判明していますが、
肝心の身元は長らく不明の状態でした。
この時、警察は遺体を復元した似顔絵のポスターを約1万枚配布し、
300万円の懸賞金をかけて情報を募ったそうです。
しかし事件から10年が経過した2018年11月30日に、
滋賀県警は被害者が滋賀県野洲市在住の川本秀行さん(当時39歳)であることを特定しました。
現在も情報を募りつつ、調査が継続されている事件です。
京都精華大学生通り魔殺人事件
2007年1月15日の夜7時45分頃、京都精華大学の学生だった千葉大作さん(当時20歳)は、
畑に面した歩道に倒れ、通行人の男性に「知らない人に刺された。通報してくれ」と訴えました。
その後、千葉さんは出血多量のため死亡。
別の目撃者が、千葉さんと若い男が言い争っているのを見たと証言していることから、
警察は交通上のトラブルなどで、犯人は口論の末に刺殺したのではないかと推定しています。
目撃情報によれば、犯人は身長170~180センチ、年齢は20~30歳、黒っぽい服装で、センター分けの髪型をしていたとのことです。
また千葉さんの体が10数カ所刺されていたこと、犯行時に「アホ、ボケ」という言葉を連発していたことから、
犯人はキレやすく情緒不安定な性格であると予測されています。
さらに犯人は日常的に使われるようなママチャリを使用していたことから、
事件現場付近の住人である可能性も高く、地元の人々を不安な気持ちに陥れました。
島根県女子大学生死体遺棄事件
次も大学生が被害にあった事件です。当時19歳だった島根県立大の学生、
平岡都さんは、2009年10月26日の夜9時45分頃にアルバイト先を出た後、行方不明になっていました。
10日以上が経過した11月26日に、平岡さんは広島と島根の県境に近い
広島県北広島町の臥龍山山頂付近で遺体で発見されます。
遺体の顔には殴られた跡があり、体の一部にはやけどの跡が残っていることから、
犯人の異常さや残虐性、執拗性などが見られました。
2016年12月には、被害者の体に付着していたポリ袋の破片から被疑者を特定することに成功しましたが、
当の本人はすでに他界していたため未だ真実は闇の中となっています。
歌舞伎町ビル火災事件
歌舞伎町ビル火災事件は2001年9月1日未明に発生した、戦後5番目に被害の大きい火災事件です。
火災が発生したのは「明星56ビル」という名の地下2階、
地上4階建ての雑居ビルで、出火場所は3階のエレベーター付近でした。
3階には麻雀店があり、そこの従業員がドアを開け放ったことにより一酸化炭素が放出され爆発が起こり、
火の手が一気に広がってしまいます。
被害者が集中していた3階と4階には一酸化炭素が充満し、
客と従業員合わせて44名が亡くなる大惨事となりました。
事件が起こる前の明星56ビルは、火災報知器の不備や避難経路となる階段に
荷物が乱雑に置かれているなど、防火体制のずさんさが何度も指摘されていました。
警察はビルの管理者5名に対して管理責任を追求し、
2008年7月に業務上過失致死傷罪により有罪判決を下したものの、肝心な出火原因は未だ特定されていない状況です。
また東京消防庁は2014年12月に、出火場所の近くに火の気がないことから、放火の可能性が高いと発表。
現在も警察によって出火原因と犯人の捜査が続けられています。
池袋駅構内立教大学生殺人事件
池袋駅構内大学生殺人事件は、人々の無関心が生んだ悲劇としてマスコミに取り上げられた出来事です。
1996年4月11日の夜11時30分頃、立教大学4年生の小林悟さん(当時21歳)は、
JR池袋駅の山手線外回り8番線ホームで会社員風の男に顎を殴られ、転倒してしまいました。
転倒した際に後頭部を強打し、意識不明のまま病院へと搬送されましたが、
5日後に外傷性脳内出血で帰らぬ人となりました。
殴った男性は100人以上の目撃者がいるにもかかわらず、未だにつかまっておりません。
目撃者による情報により、目の下に傷がある特徴的な似顔絵が作成され、池袋駅を
はじめ首都圏全域に掲示されましたが、事件解決には至りませんでした。
犯人とされる人物は、事件後池袋駅から外回り上野方面行電車に乗車、
日暮里駅で下車したことまではわかっていますが解決に結びついていません。
また、被害者の父親は犯人とされる似顔絵の男とそっくりな人物をJR北千住駅
で見かけ尾行しましたが、人込みの中で見失ったと伝えられています。
NHK特集未解決事件で本事件が取り上げられ、その中で以前勤務していた職場に犯人の似顔絵とそっくりな人物が居たとの取材協力者からの証言が報じられましたが、その後、新たな展開はありませんでした。
現在のように駅の要所要所に監視カメラが設置されていれば、すぐに解決できたのではないかとみられています。
1996年はスマホの影も形もない時代。
今のように誰もが即座にスマホで写真や動画を撮れる時代であればとっくに容疑者は逮捕されたに違いありません。
当時は傷害致死事件として扱われましたが、2002年7月に被害者の父親が3万5000人分の署名とともに
公訴時効延長を法務省に求めたため、殺人罪に切り替わり、時効は11年まで延長されました。
2010年4月に殺人罪の時効が撤廃されると同時に、
警視庁の捜査特別報奨金制度対象事件となりましたが、
遺族の希望で2012年より指定を辞退。
事件発生から24年以上にわたった捜査は、未解決のまま終結しました。
もしあの時「周囲の人が犯人を止めていれば」と考えると、とてもいたたまれない気持ちになる事件です。
福島歯科助手挙式直前失踪事件
女性にとって結婚は人生の一大イベントですが、
そんなイベントを直前に姿を消してしまった花嫁が存在します。
1994年2月19日、福島県南相馬市原町区に住む、21歳の歯科助手兼事務員の増山ひとみさんは、
勤め先を寿退社したその日、車で帰宅するのを同僚に見送られて行きました。
翌日、増山さんの乗っていた軽自動車は歯科医院と自宅の中間地点で発見されますが、
車内に増山さんの姿はなく、財布などの所持品と退職祝いの花束が置かれたままだったそうです。
警察は失踪の動機を調べましたが、増山さんは3週間後に控えた結婚式を心待ちにしており、
自ら失踪するとは考えにくいという結論に達しました。
気になる点はいくつかあり、結婚が決まって以来、増山さんの自宅には無言電話が相次ぎ、
車にもいたずら書きが繰り返されていたとのこと。
しかも失踪当日にも職場から増山さん宛ての不審な電話があったということで、事件の可能性が一気に高まりました。
その後の手がかりは、失踪から約1年後の「私、お姉ちゃんだよ」と増山さんの妹に告げ、
名前を尋ねた際に「ひとみです」と返答し、一方的に切られた電話のみとなります。
当時、増山さんの家では、電話に録音装置を設置しており、この際の会話はすべて録音されていました。
電話に出た妹さんも母親も改めて電話の声を確認しましたが、お姉さんとは別人と判断しています。
声紋の専門家が鑑定したところ、「私、お姉ちゃんだよ」、「ひとみです」の声は
推定60歳前後で地元福島の訛りがあると判定されました。
また、電話は増山さんの家のエリア近くから発信されたことも確認されています。
仮に誘拐事件であれば、身代金の要求、殺人事件であれば遺体発見で
新たな展開で謎が解明されるということも少なくありませんが、この事件に関しては、
別人と思われる女性による不審な電話以降、なにも新たな情報も展開もないまま現在に至っています。
グリコ・森永事件
1984年から85年にかけて起きたグリコ・森永事件は、劇場型犯罪として名高い未解決事件です。
犯人グループたちは自らを「かい人21面相」と名乗り、江崎グリコをはじめ、丸大食品や森永製菓、
ハウス食品、不二家、駿河屋などの食品企業に脅迫状を送り、巨額の現金を要求してきました。
脅迫を受けた企業は現金を指定の場所へ持っていきましたが、
犯人たちは一度も引き渡し場所には現れないため、逮捕するチャンスは得られませんでした。
事件の始まりは1984年3月18日の晩、自宅にいたグリコの江崎勝久社長が、突然3人組の男に拉致されたところから始まります。
犯人たちがグリコに要求した身代金は、現金10億円と金塊100kg。
グリコ側はこれを承諾し、指定された場所へ身代金を届けにいきましたが、なぜか犯人たちは現れませんでした。
江崎社長は自力で監禁先から脱出し、事件は終結したかのように思われましたが、
1984年4月2日には、江崎宅に差出人不明の脅迫状が届き、6000万円が要求されます。
またしても受け取り場所に犯人たちは現れず、目的がわからないまま警察や関係者は「かい人21面相」に翻弄され続けます。
その後は別の食品企業にも脅迫状が届くようになり、
ターゲットにされた企業の株は暴落したり高騰したりしていました。
一説では犯人の目的は、株価の操作によって利益を得ることなのではないかとも言われています。
1984年8月12日には、犯人から一方的に事件の終結を宣言され、
その後も捜査は続けられたものの、2000年2月13日には事件に関する全ての犯罪が時効を迎え、未解決事件となりました。
女性教員宅便槽内怪死事件
トイレの中に人間が潜んでいたら、見つけた人は間違いなくびっくりするでしょう。
1989年2月28日夜8時頃、福島県にある都路村の小学校に勤める23歳の女性教員は、
トイレに入って何気なく便槽をのぞいてみたら、中に死体を発見してしまったのです。
死体の身元は、同村在住で、隣村にて原発保守の仕事をしている25歳の青年でした。
関係者に調査したところ、青年は2月24日の夜10時頃、
父親に声をかけて出かけたきり消息がわからなくなっていました。
死因は狭い場所で圧迫され凍死したということで、警察は青年がのぞき目的で便槽内に侵入し、
寒さで出られなくなったものとして処理しました。
しかし、この結論に納得がいかないと声をあげる村民も多かったのです。
青年は村内でも評判が良く、第一発見者である女性教員とも親しかったことから、
覗きのためにわざわざ便槽に入り込むとは考えにくいとされたのです。
青年は村長の選挙活動にも取り組んでいて、対立候補の汚職を告発しようとして殺されたという噂もありますが、
警察が調査を打ち切ってしまったため、未だに真相は謎のままです。
3億円事件
日本の犯罪史上、最も犯行の手口が鮮やかな事件といえば、3億円事件ではないでしょうか?
この事件は、1968年12月10日9時30分頃に東京都府中市で、日本信託銀行(現・三菱UFJ信託銀行)が運んでいた現金3億円が盗まれた事件です。
この3億円は、東京芝浦電気(現・東芝)の府中工場で働く、工場従業員へのボーナスでした。
現在でも3億円は大金ですが当時の金銭価値から判断して、現代なら20億円くらいに相当していたと推定されています。
偽の白バイ・警官に盗まれた金額の巨大さの2つの点から、
日本における未解決事件が話題になるといつの時代でも常に上位にランクされています。
現金輸送車が日本信託銀行の国分寺支店を出てから、府中市栄町に差し掛かったとき1台の白バイが現れ、
前を塞ぐようにして止まり以下のように伝えてきました。
「巣鴨支店長の自宅が爆破され、この輸送車にも爆発物が仕掛けられているという連絡があった。」
実は4日前に、支店長宅を爆破する旨の脅迫状が送りつけられていたこともあり、
銀行員たちは雰囲気にのまれ、すんなりと警察を信用し、車から離れました。
警察は輸送車の下に潜り込み爆弾を探すふりをして隠し持っていた発火筒に点火、
「爆発するぞ!早く逃げろ!」と銀行員を避難させた直後に、白バイを残して車で走り去ってしまいました。
その後、白バイは真っ赤な偽物であることがわかり、
すぐに伊豆・小笠原諸島を除く東京全域に緊急配備が敷かれましたが、警察を逮捕することはできませんでした。
これまで容疑者ではないかとする報道が無数になされましたが、いずれも噂の域を出ず
、解決につながる有力な情報は得られないままただ、時が過ぎていきました。
警視庁捜査において容疑者リストに載った人数は11万人、動員した警察は17万人で、
捜査費用は7年間で9億円が投じられる空前の大捜査となりましたが、1975年12月10日には時効が成立し、未解決事件となりました。
世田谷一家殺人事件
最後の事件は、2000年12月30日に起きた一家殺人事件を紹介します。
東京都世田谷区祖師谷で、自宅にいた宮沢みきおさん、妻・泰子さん、長女・にいなちゃん、長男・礼くんが
何者かによって殺害されているところを、泰子さんの母が発見しました。
犯人は12月30日の夜11時頃、宮沢家の浴室の窓から侵入し、長男を布団にかぶせて窒息させた上、柳刃包丁で残りの3人を次々と刺殺しました。
その後の犯人の行動が不可解で、すぐには逃亡せず、
事件が発覚する12月31日の昼前まで、宮沢家で滞在していた痕跡が残っていたのです。
犯人は冷蔵庫の中にあったアイスクリームを食べたり、家のパソコンでネットサーフィンをしたりしていました。
また、なぜか劇団四季のHPにアクセスした痕跡も確認されています。
物品の証拠や犯人の指紋や血痕が残っているにも関わらず、身元はおろか、犯行の動機すらわかっていません。
もし、強盗目的であれば小さな子供まで手にかけるということは考えにくいですし、恨みであれば、周囲にそれとなく
手がかかり・心当たりがあるのが通り相場ですが、本事件は犯人につながる全く手がかりがないことでも、その特異性が
際立っています。
さらに犯人は手に大怪我を負っているという有力な情報があったのに関わらず、翌日、東武日光線で”手に深い傷を負った男性”を目撃したという情報も生かすことが出来ず、その後の足取り不明に終わっています。
また、NHK特集未解決事件で本事件が取り上げられ、犯行推測時間に事件現場近くの道路に飛び出してきた不審な男性を目撃したという情報が報じられましたが、続報がないまま現在に至っています。
これまで、本事件に関する本や雑誌が多数発行され、また容疑者ではないかとする情報も無数に流れましたが、いずれも噂レベルで終わっています。
犯行の不可解さや年の瀬に起こった事件として、一年を振り返る区切りとしてマスコミに広く取り上げられる出来事の一つです。
犯行から20年以上経過していることで犯人の外見も相当変貌していると考えられ、年を経るごとに解決が難しくなっているのではないかと思われます。
まとめ
さて今回の内容はいかがでしたでしょうか?
紹介した事件は以下のとおりです。
1:琵琶湖バラバラ殺人事件
2:京都精華大学生通り魔殺人事件
3:島根県女子大学生死体遺棄事件
4:歌舞伎町ビル火災事件
5:池袋駅構内大学生殺人事件
6:歯科助手挙式直前失踪事件
7:グリコ・森永事件
8:女性教員宅便槽内怪死事件
9:3億円事件
10:世田谷一家殺人事件
未解決事件について調べた結果、昭和から平成にかけて、こんなにも血なまぐさい事件が多いということに驚愕しました。
捜査が打ち切られてしまった事件もありますが、今もなお捜査が続いている事件については、
一日も早く真犯人が逮捕されることを願っております。
最後に犠牲となった人々に心よりお悔やみを申し上げます。
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