フリードリヒ・フーケー著の「水妖記(ウンディーネ)」(岩波文庫)の感想をご紹介します。
本の属性
「水妖記」とは、1811年にフリードリヒ・フーケーというドイツの作家が発表した中編小説です。
私が今回読んだものは、柴田治三郎という方の翻訳版です。
岩波文庫から発売されており、最後に改訂があったのは1978年のようです。
購入したきっかけ
一言で表してしまえば、私はドラゴンや悪魔、精霊のような「伝説上の存在」が好きだからです。
日本で言えば、妖怪やお化けでしょうか。
普段からゲームをしたり、漫画を読んだりしていると、こういった伝説上の存在がしばしば作中に姿を表します。
そういったものを通して彼等の存在に興味を持ち、その原点まで興味を持ったのが、購入のきっかけです。
あまりゲームや漫画に触れない、といった方には馴染みが薄いかもしれませんが、「ウンディーネ」もまた、その伝説上の存在の一人なのです。
あらすじ
湖に差し込む岬の小屋に、老夫婦と、養子であるウンディーネという少女が暮らしていました。
ある日、森から騎士フルトブラントが現れ、一晩の宿を願います。
ウンディーネとフルトブラントはたちまち惹かれ合いました。
すると翌日、嵐と大水が起こり、フルトブラントはしばらく街に戻れません。
その間、二人はますます惹かれ合いました。
その後、老神父が岬に流れ着いたことをきっかけに二人は結婚します。
ウンディーネは、自分が水の精であること、嵐と大水、神父が流れ着いたのも自分と、同じく水の精である叔父の仕業だということ告白しますが、
フルトブラントはこれを受け入れました。
二人は岬を出て、街に戻り城で暮らすことになります。
一方街には、フルトブラントに好意を抱きながらも、彼を森に追いやったことに負い目を感じるベルタルダという領主の娘がいました。
彼女はフルトブラントの無事を喜ぶ一方、妻を伴って帰還したことに複雑な心境を覚えますが、ウンディーネとは友人として互いに惹かれ合うのでした。
後日、ベルタルダを祝う催しにて、ウンディーネは、ベルタルダは領主の娘ではなく、
岬に住む老夫婦こそが彼女の本当の両親であるという、叔父から聞いた事実を告げました。
ウンディーネの良かれという思いとは裏腹に、ベルタルダは激怒し、老夫婦をさえ言葉で責め立てました。
その催しには沢山の人が参加していたこともあり、ウンディーネとフルトブラントはこれをきっかけに引きこもりがちになります。
この地にはもう居られないと感じた二人は引っ越しを決意します。
そこに、領主夫婦からも、老夫婦からも、皆から見捨てられたベルタルダが現れました。
彼女は反省し、漁師の娘として貧しく厳しく生きていくつもりでしたが、ウンディーネとの友情は消えておらず、
フルトブラントもまた彼女を哀れに思い、3人で引っ越すことになります。
新しい暮らしが始まって以降、フルトブラントはベルタルダの方に想いを寄せていくことになります。
彼女はフルトブラントに愛を囁き、彼もまたベルタルダに惹かれていきました。
その頃から、ベルタルダの存在を良く思わないウンディーネの叔父が、二人を様々な方法で脅かしました。
そうした目に合うたび、二人は水の精に気味の悪さを感じ、その存在を疎ましく思い、怒りすら感じるようになります。
時おりウンディーネの優しさに触れ、フルトブラントは愛情を、ベルタルダは友情を思い出して何度も揺さぶられます。
しかし、フルトブラントはとうとう、「水のそばでウンディーネを叱ってはいけない」という掟を破ってしまい、その掟通り、ウンディーネは水の中へと消えてしまいました。
二人は嘆き悲しみますが、その悲しみも時間とともに薄れ、やがて二人は結婚を決意します。
結婚式の晩、ウンディーネは精霊の掟に従い、城の泉から水とともに現れました。
彼女は泣きながらフルトブラントと熱い口付けを交わし、涙で彼の命を奪いました。
感想
この作品には、たびたび「魂」という言葉が出てきます。
作中では、水の精(及びその他の自然の精)は、魂のない存在であり、人と結ばれることで初めて魂を得ることができるとされています。
最初は、気まぐれでイタズラ好き、歳の割に子供じみていたウンディーネも、フルトブラントとの愛を経て、魂を獲得します。
その瞬間、落ち着きと気品を持ち、あらゆる愛情に厚い、別人のような性格になったのです。
ウンディーネは友情と愛情を忘れませんでした。
たびたびフルトブラントとベルタルダの感情の波に振り回され、時には涙を流すこともありました。
しかし、彼女はその涙や悲しみさえも善いものだと考えたです。
作中で、ベルタルダを殺さなかったことからもそれは窺えます。
フルトブラントも、掟さえなければ殺しはしなかったかもしれません。
ですので、この場合の「魂」とは、「愛」とか、「人間らしい感情」の殆ど全てを意味しているのではないかと思いました。
ストーリーの大筋こそ悲しいものですが、彼女は普遍的な人間讃歌を主張し続けていたのではないかと思います。
軍人でもあった作者のフーケーは、遠征先で名もなき少女と結婚し、数年で心ならず離婚したそうです。
フーケーはそのことを「罪は全て自分にある」と振り返っています。
愛情というものを褒めそやしながらも悲劇的な結末に終わったのは、こういう背景もあったのでしょう。
しかし、そのおかげか、人の感情の移り変わりというものが巧みに描かれ、空想めいた題材でありながら非常に生々しさを感じさせる作品です。
上記のあらすじを読んで、「なんだ、典型的な昔話か」と思った人にこそ、この本を読んでみて欲しいですね。
そんなに長くもないので、オススメです。
本の評価(100点満点)
95点
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