渋沢栄一が設立に関わった主な企業(業種別一覧)と三菱・三井財閥との違いについてわかりやすく説明します。

渋沢栄一は、生涯に約500の会社の設立に直接・間接的に関わったとされています。

約500の会社といっても日本最初の銀行である第一国立銀行(現みずほ銀行)の創立に関わった銀行等の金融業から、鉄道会社等の交通 ・ 通信、繊維会社や製紙会社からホテル業に至るまで多彩です。

その中でも特にその企業の役員や創立者となった主な企業は以下の通りです。



渋沢栄一が役員や創立者となった主な企業

第一国立銀行

1875年 35歳で日本最初の銀行である第一国立銀行頭取就任

東京商工会議所

1876年 36歳で会頭就任

日本鉄道

1884年 44歳で理事

帝国ホテル

1887年 47歳で創立者

澁澤倉庫

1897年 澁澤榮一を営業主とし東京深川に澁澤倉庫部を創業

東京電力

1906年創立 取締役




上記の企業を含む、渋沢栄一が設立に関わった代表的な企業について業種別にまとめてみました。

渋沢栄一が設立に関わった代表的な企業 業種別一覧

金融業

日本銀行

日本興業銀行(現みずほ銀行)

第一国立銀行(現みずほ銀行)

日本勧業銀行(現みずほ銀行)

三井銀行(現三井住友銀行)

横浜正金銀行(東京銀行→現三菱UFJ銀行)

北海道拓殖銀行(1998年経営破綻により消滅)

東京海上火災保険

朝日生命保険

交通 ・ 通信業

日本郵船

日本鉄道(国鉄→現在のJR東日本、西日本、東海、北海道、四国)

秩父鉄道

東京地下鉄道(現 東京メトロ)

京阪電気鉄道

神戸電気鉄道

繊維

東洋紡績(現東洋紡)

鐘淵紡績(カネボウ→2007年解散)

紙パルプ

王子製紙

食品

大日本麦酒(アサヒビールやサッポロビールなどの前身)

大日本明治製糖

窯業

日本板硝子

浅野セメント

秩父セメント

鉄鋼

日本鋼管(現JFEホールディングス)

輸送用機器

東京石川島造船所(現IHI)



化学

三共(現第一三共)

電気化学工業(現デンカ)

ガス

東京瓦斯

大阪瓦斯

北海道瓦斯

名古屋瓦斯(現東邦ガス)

電力

東京電力

建設

清水建設

取引所

東京株式取引所(現日本証券取引所グループ)

大阪株式取引所(現日本証券取引所グループ)

倉庫

渋沢倉庫

ホテル

帝国ホテル

京都ホテル

農林水産

日本水産

その他

沖電気

いすゞ自動車

川崎重工業

古河機械金属

三越

帝国劇場

東京建物

東京会館



渋沢栄一と三菱・三井等の財閥との違いとは?

渋沢栄一と三菱・三井等の財閥との違いとは?

三菱・三井等の財閥が三菱が開運会社、三井が呉服店を祖業にしているように当初から利益を追求する私的オーナー企業が源流となっているのに対し、渋沢栄一は日本の近代化のために社会に必要な産業を担う新たな企業を起こして、軌道に乗せることが主目的であったことが最大の違いです。

そのため、自ら設立した企業でも株式を大量に保有して、経営権を握ることに対する関心は低く、家族や縁者が長く経営の責任ある立場に関与し続けたのは、第一銀行や澁澤倉庫くらいでした。

ですので、そもそも渋沢栄一は、三菱・三井等のような財閥ではなかったのです。

GHQから財閥認定されなかった澁澤同族株式会社

戦後、GHQが占領政策として財閥解体を実施するにあたり、1946年(昭和21年)12月に渋沢栄一により設立された澁澤同族株式会社を持株会社とする財閥と位置付けられました

その後、GHQが再調査した結果、その規模と株式所有企業への支配力の点からも、澁澤同族株式会社は財閥の持株会社に相当せず、指定解除を願い出る様に通知してきました。

その時に、渋沢家当主で澁澤同族株式会社社長の渋沢敬三は、戦中戦後にかけて日本銀行総裁、大蔵大臣として日本の金融財政等の経済政策運営に係わってきた当事者としての立場から、財閥指定解除の願いについて、「それは世間が承知せんだろう」ということで指定解除を申し出ませんでした。

つまり、GHQからも渋沢同族株式会社は財閥に該当しないとお墨付きをもらいながらも、当時の世情を鑑みて、財閥のまま扱われることになりました。

以上のように渋沢栄一が創立・設立した企業群は、三菱・三井財閥のような実体はなく、そもそも財閥ではなかったのです。

そして、現在、渋沢栄一の直系の子孫が経営しているのがコモンズ投信です。

渋沢栄一の直系の子孫である渋澤 健氏が会長となっています。

渋沢栄一の直系の子孫が経営している企業

・コモンズ投信株式会社
所在地
〒102-0093
東京都千代田区平河町2-4-5平河町Kビル5階

資本金など 15億5189万5000円(資本準備金含む)

代表取締役社長 伊井 哲朗

取締役会長 渋澤 健

取締役 濱名 富國

取締役 福本 美帆

監査役 増田 英次

設立年月日 2007年11月6日



なぜ渋沢栄一は、こんなに多数の企業の設立に関わったのか?その背景とは

渋沢栄一は、 幕末という激動の時代の中でし討幕の運動に身を投じました。
しかし1867年討幕の蜂起に失敗して京都に逃れ、不本意ながら幕臣となりました。

その時、幕臣の身分で、フランス・パリで開かれた万国博に参加する使節団の一員として徳川昭武(15代将軍慶喜の弟)に庶務・会計係として随行、初めて ヨーロッパを訪れました。

渋沢栄一は、産業革命に成功した先進国の近代産業と発達した諸制度を目の当たりにして驚かされました。

フランスには1年半滞在。
その間、銀行、工場、病院、下水道、会社等を見学、また、株式会社制度を学んだとされています。

帰国後、その見聞を基に、多岐にわたる実業の構想・企業の設立への強烈なモチベーションを得たことが、多数の企業の設立に関わることになったのです。

まとめ

①渋沢栄一は、生涯に約500の会社の設立に直接・間接的に関わりました。

その中でも日本最初の銀行である第一国立銀行、現在のJRグループの源流である日本鉄道、帝国ホテル、澁澤倉庫、東京電力では役員や創立者となりました。

②渋沢栄一が創立・設立した企業群は、三菱・三井財閥のような実体はなく、そもそも財閥といえるような実体はありませんでした。

③渋沢栄一は、多数の企業の設立に関わるようになったきっかけは、フランス・パリで開かれた万国博に参加する使節団の一員として参加したことでした。



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