派閥(自由民主党)とは?その歴史・役割・違いについてわかりやすく説明します。

政治志向が同じなはずな自由民主党には、細田派、二階派、麻生派、
岸田派、竹下派、石破派、石原派と7つの派閥があります。

なぜ自由民主党に派閥が存在するのか?その役割・違い、
これまでの歴史についてわかりやすく説明します。

ちなみに立憲民主党、公明党、共産党、国民民主党には派閥はありません。
立憲民主党に派閥よる緩い議員集団のグループがあるだけです。



なぜ自由民主党に派閥が存在するのか?

自由民主党には当初から派閥の芽が

自由民主党は、1960年に保守系政党の日本民主党と自由党が合同して誕生しました。

この歴史的経緯から出発当初から日本民主党系と自由党系という色分けが存在しました。
その後、複数の党内の有力議員による勉強会的なグループが形成されていき、
それが派閥に発展していきました。

派閥によって異なる政治志向

自民党は、合同して誕生したという歴史から、
同じ保守といっても様々な政治志向の議員が存在していました。

具体的には、憲法改正派・護憲派、親中派・親台湾派、
経済重視派・軍事力重視派等、といったような色分けが可能でした。

そして、護憲派の派閥には、護憲志向の議員が集まり、憲法改正派の派閥には改正派が
あつまるというように、自民党における派閥は政治志向によって明確に区分されていきました。

派閥の役割と歴史

自由民主党における派閥は1990年代までと2000年以降で大きく異なります。

1980年代までの派閥の役割と特長は以下のようなものでした。

派閥=派閥のトップである領袖を首相にすることが最大の目的の集団

1970年代から80年代までは自由民主党の派閥全盛期ともいえる時代で、
田中角栄、福田赳夫、大平正芳、三木武夫、中曾根康弘のいわゆる
三角大福中が首相の座をめぐり、激しく覇を競っていました。

この時代の派閥は、田中派、福田派、大平派、三木派、中曽根派の5大派閥で、
派の領袖はいずれも首相の座につきました。

つまり、この時代の派閥は
”派閥のトップである領袖を首相にすること”が最大の目的の集団でした。

この時の派閥は、政治スタンスの違いから以下のように区分できました。

5大派閥の政治スタンス

田中派=中間派・親中派

福田派=右派・親台湾派・憲法改正派・軍事力重視

大平派=左派・親中派・護憲派・経済重視

三木派=左派・護憲派・軍縮派

中曽根派=右派・憲法改正派

実際に田中派の領袖であった田中角栄氏が首相になると
同じ親中派である大平派の領袖大平正芳氏を外務大臣に据え、
長年の懸案であった日中国交正常化を実現させました。

この時、親台湾派の今の細田派の源流となる福田派は大きく反発しました。

安倍元首相が台湾に親密なのは、元々福田派出身だからです。



派閥の役割

この当時の派閥は、内閣改造時における大臣の
派閥ごとの割り当てを決める役割も果たしていました。

例えば、大臣の割り当てについて田中派が5人、福田派が3人というように。

そして、派閥の誰が大臣になるかは派閥内で推薦・決定されていました。

つまり、派閥は党内において、一定の人事権を持っていたのです。

衆議院選挙における中選挙区制が派閥の必要性を高めた

1980年代の特徴は衆議院選挙が中選挙区制で行われていたことです。

中選挙区制では一つの県を3~7程度に分割、
そのエリアごとに選挙が行われていました。

今の小選挙区制より人口も面積も広く、
1選挙区の定員が3~5名となっていたため、
自民党から同一選挙区に複数立候補することも珍しくありませんでした。

具体的な事例では、中選挙区制時代の群馬三区で福田派の領袖の福田赳夫氏と
中曾根派の領袖の中曾根康弘氏が選挙のたびに得票数1位をめぐり、激しく争っていました。

この争いは、同じ政党の元首相同士の仁義なき戦いとして、
選挙のたびに海外メディアにも大きく報じられました。

このように自民党から同じ選挙区に立候補する場合は
必然的に異なる派閥からということになっていましたので、
中選挙区制という選挙制度が派閥の形成・発展に大きな影響を与えていました。

2000年代以降の派閥の役割と特長

2000年代以降いわゆる政治改革により、衆議院選挙で小選挙区制が導入されました。
これにより、同じ選挙区で同じ政党の候補者が争うということがなくなり、派閥の位置づけが急速に変貌しました。

中選挙区制では、誰が立候補するのか所属派閥の領袖の意向が大きな影響を与えていましたが
小選挙区制導入後は幹事長が力を持つようになりました。

このため、2000年代以降の派閥の役割はそれ以前に比べ、その影響力は大きく低下、現在に至っています。

最近の派閥の特長

2020年に1970年代の派閥政治全盛時代なら考えられなかった無派閥の菅首相が誕生しました。

最近の派閥では、細田派の細田氏、竹下派の竹下氏、
二階派の二階氏は自由民主党総裁選挙に立候補したことも希望したこともありません。

ですので、派閥の領袖=総裁候補という図式が
成り立たなくなっていることが最近の派閥の特長です。

現行の派閥と政治志向による違い

細田派(会長 細田博之)96人 右派 憲法改正・軍事力重視

麻生派(会長 麻生太郎)53人 中間派 経済重視

竹下派(会長 空席)52人 中間派

二階派(会長 二階俊博)47人 右派

岸田派(会長 岸田文雄)46人 左派 護憲派・経済重視

石破派(会長 空席)17人 中間派

石原派(会長 石原 伸晃)10人 中間派

2021年の自民党総裁選挙候補者における派閥の支持基盤は以下の通りで、
以前のように派閥が一体となって同じ候補者を支持するという構図が
成り立たなくなっています。

また、政治志向に距離がある護憲派の岸田氏を憲法改正を信条とする
細田派の議員が支持するというようなことは1970年なら考えられないことです。

2021年の自民党総裁選挙候補者における派閥の支持基盤

岸田文雄元外相 岸田派・麻生派の一部・細田派の一部

河野太郎元外相 麻生派・二階派の一部

高市早苗元総務大臣 細田派の一部

野田聖子元総務大臣 二階派の一部



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