マツモトキヨシは、黄色地に黒文字で”マツモトキヨシ”とかかれた看板が
今や全国どこでも目にすることができます。
”マツキヨする”なる言葉まで産み出し、全国に数あるドラッグストアチェーンでも早くから全国的に成功した企業の代表的な存在です。
このマツモトキヨシ、当初は千葉県北西部の松戸市内だけで展開していた個人経営の薬局でした。
まだ、ドラッグストアなんて言葉がない時代で、今や死語となった感のある”街の薬屋さん”という存在でした。
では、このマツモトキヨシの名前の由来は何だろう?と思われる方も少なくないと思います。
■マツモトキヨシの由来は松戸市長・すぐやる課の創設者
実は、マツモトキヨシの創業者は松本清氏という、千葉県で第3位の人口を誇る松戸市長を務めた人物です。
松戸市長在任中に、”すぐやる課”を設置し、それまで”お役所仕事”と揶揄されてきた松戸市に民間の発想を取り入れて、全国的な話題になりました。
”すぐやる課”の仕事ぶりを見ようと全国の自治体から視察が絶えなかったというエピソードを聞いたことがあります。
松本清氏は松戸市長に就任する前は、千葉県県議会議員だったのですが、選挙運動で”松本清 あと一歩です”等、自分の名前を連呼する際、店の名前も自分の名前にすれば、広告にもなるし一石二鳥いうことをひらめき、店名を”マツモトキヨシ”としたのです。
松戸市長になって”すぐやる課”を設置したのも、こうした商売人としてのセンスが背景にあったからと周囲からはみられていました。
しかし、松本清氏は、松戸市長在任中に病気で現職のまま死亡してしまいました。
現在のマツモトキヨシの成功は、実弟や息子等、遺された親族を中心に経営を切り盛りしたことに大きな要因があるとされています。
また、ひところ、食品スーパーも兼営していましたが途中で撤退して、ドラッグストアに経営資源を特化したことで現在のドラッグストアトップ企業の地位をつかんだという見方が有力です。
ちなみに松戸市内には松本清氏にちなんだ地名(小金きよしヶ丘)まであります。
この地名については、賛否両論あるようです。
■まとめ
筆者は、松戸市の近くに住んでいますので、マツモトキヨシが成長する過程は、ほぼリアルタイムで知っています。
松戸市内だけで展開していた個人経営の薬局でしたが、都内の御徒町に松戸市外の初めてとなる店舗を開設してから、全国にあっという間に店舗が広がっていったというのが実感です。
現在の成功の要因は、”千葉県内一の薬局を目指さずに東京に進出したこと”、それに”マツモトキヨシ”というインパクトが強く、一度目にしたら忘れないような店舗名にしたことにあるのではないかと思います。
巷で美味しい店・良い店に遭遇しても”店の名前が覚えずらい”とつい”マツモトキヨシ”を見習えといいたくなります。
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