1991年に崩壊したソビエト連邦について、現在のロシアとの違いを含めわかりやすく説明します。
ソビエトとはどういう意味?
ソビエトとは、元々ロシア語で「会議」や「評議会」という意味です。
しかし、ロシア革命が進むにつれて、それは労働者の代表やその政治機関をさす意味を併せ持つようになります。
まず、1905年、プロレタリアート(労働者)の闘争機関としてストライキを指導した代表ソビエトに起源を持ちます。
当初は単なるストライキ委員会としてのみ機能していましたが、その後、労働者を中心に農民・兵士など支持を広げ、
ブルジョアに対抗する権力機関である革命組織にまで発展を遂げることになります。
世界各国におけるソビエトの事例
ソビエト政権とは、何もロシアだけに限定された政権といわけではありません。
例えば、1919年にはハンガリー社会主義連邦ソビエト共和国が誕生していますし、また1931年には、当時の中国共産党により、中華ソビエト共和国なるものが樹立されています。
ソビエト連邦時代のソビエト共和国一覧
ソビエト連邦は、ロシア連邦、ウクライナ、白ロシア、ウズベク、カザフ、グルジア、アゼルバイジャン、モルダビア、リトアニア、キルギス、ラトビア、
タジク、アルメニア、トルクメン、エストニアの15ヵ国によって構成されていました。
ウクライナが旧ソ連内の共和国だったことが2022年のウクライナ戦争の大きな要因となっています。
ロシア革命におけるソビエトの役割とは
ソビエトは、1905年の第一次ロシア革命の際に、労働者を中心に結成されたことに始まります。
そして、1917年、第二次ロシア革命が勃発し、民衆を中心とした革命組織だったソビエトにより、皇帝ニコライ2世は捕らえられ、ロシア帝国を打倒することに成功しました(三月革命)。
その後、臨時政府とソビエトによる二重権力状態となりましたが、レーニンを中心に結集した「ボリシェヴィキ」により、臨時政府は倒され、ロシア帝国は崩壊しました。
そして、世界初の社会主義政権であるソビエト政権が誕生するに至ったのです(十月革命)。
社会主義とは、富を国民に等しく分配することで、格差のない平等で公平な社会を実現しようという考えに基づきます。
そして、ソビエトとはこのような社会主義的思想を背景に生まれた組織でした。
ロシア革命は、このような社会主義思想を背景とした組織により起こされた革命であり、当時の世界の主流だった資本主義から離脱して、社会主義への転換を図るという歴史上初の出来事として、その後の世界に大きな影響を与えることとなったのです。
ソビエト連邦と現在のロシアの違いとは
①政党をはじめとした政治制度の違い
ソビエト連邦の政治システムはソ連共産党による一党独裁体制の社会主義国家でした。
そして、1991年のソビエト連邦崩壊により、一党独裁体制は崩壊することになります。
現在のロシアは、共和制であり、大統領が直接選挙で選ばれる政治体制となっています。
ソビエト連邦の時代とは異なって、複数政党制を採用しており、現在は統一ロシアが政権与党となっています。
もっとも、選挙での不正などを西側諸国からは疑われており、また言論の自由を大幅に制限するなど、成熟した民主国家とは程遠い状況と言えます。
②国家の違い
ソビエト連邦は15の社会主義共和国で構成された連邦国家でした。
その後の1991年のソビエト連邦崩壊に伴い、ソビエト連邦を構成していた共和国は主権国として独立を果たすこととなります。
そして、現在のロシアは、共和国や州など83の主体からなる連邦国家となっています。
③経済体制の違い
ソビエト連邦時代は社会主義経済体制をとっており、生産から消費までを国家が管理して、平等な社会を実現することを標榜していました。
しかし、その非効率性と非生産性により、経済は停滞を続けていました。
そして、ソビエト連邦崩壊後のロシアは西側諸国と同様の資本主義経済へと移行しています。
④国の規模・人口の違い
ソビエト連邦時代の国家面積は約2,240万平方キロメートルで、人口は2億8,862万4千人もいました。
その後、構成国の独立により国家面積も人口も大幅に減少しています。
現在のロシアの国家面積は、約1,710万平方キロメートルで、人口は1億4,680万人となっています。
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