共産党と創価学会・公明党はなぜ仲が悪いのか?わかりやすく解説

日本共産党と創価学会を母体とする公明党は、衆議院選挙、参議院選挙はもちろん、都議会議員選挙をはじめとする地方議会の選挙でも、選挙期間中お互いを批判・誹謗中傷する等、まさに”犬猿の仲”といえるほど仲が悪い状況が続いています。

そこで共産党と創価学会はなぜ仲が悪いのか?について簡単にわかりやすく説明します。

そもそも共産党と宗教団体である創価学会は相いれない存在

共産党は、共産主義社会を目指すことを目的とした政党です。

そもそも共産主義では、神の存在を否定していますので、信仰の自由を含めた
宗教は禁じられるか、現在の中国のように厳しい制限下におかれます。

要するに共産主義からみると”宗教は好ましからざる存在”ですので、無神論の立場の共産党と創価学会は仲が悪いのはむしろ当然ともいえるのです。

支持基盤が重なる共産党と創価学会

共産党と創価学会は、どちらも中小企業勤務者や未組織労働者といった層を主な支持基盤にしています。

共産党からすると本来であれば、共産主義に共鳴するような人達が自分たちよりも歴史の浅い新興宗教団体である創価学会に入会して、支持基盤を侵食されているともいえますので、どうしても対立が絶えないのです。

また、共産党も創価学会も町会レベルの地域単位で日々活動していますので、信者の獲得や支持者の拡大を巡り摩擦が大きくなりがちです。

この摩擦は衆議院選挙や参議院選挙といった国政レベルの選挙の時に最高潮に達します。

対立を決定的にした公明党の結成

創価学会は1959年に組織内に文化部を設置。

以来、文化活動と称して、都議会や区議会をはじめとした地方議会の選挙に創価学会会員である文化部員を立候補させることで政治の分野に本格的に進出しました。

その後、国政の場である参議院にも進出。

1964年には公明党を結党、衆議院に進出と共産党からするとそれまでの
政党と宗教団体の対立から政党間の対立へと変化したことで、共産党と創価学会の対立は決定的になりました。

言論出版事件で共産党と公明党・創価学会が激突

1969年、明治大学教授で政治評論家の藤原弘達氏が創価学会・公明党を批判した著書”創価学会を斬る”を出版する計画を知った公明党や創価学会の幹部が出版を中止するように圧力をかけました。

この時、当時の竹入公明党委員長の要請で田中角栄自民党幹事長(当時)が介入、著者に出版の中止を求め、「初版分は全部買い取ろう」と圧力をかけましたが藤原氏は応じませんでした。

しかし、当時は創価学会への批判がタブー視(鶴のタブーと称されていました)されていたため、大手取次店が全国への配本を断り、一般紙も広告掲載を断り、国鉄・私鉄も中づり広告を断るなどの事態が引き起こされました。

この経緯について、共産党がNHK放映の2党間討論で公明党に対し、松本善明衆議院議員が”公明党・創価学会が言論出版を妨害している”と追及したことで、言論出版事件が世に明るみにされました。

その後、共産党の機関紙赤旗に藤原氏が登場、”田中角栄自民党幹事長が圧力をかけてきた”ことを明らかにしたことで、言論出版事件は国会でも取り上げられることになりました。

国会でも共産党は、公明党批判の急先鋒にたったことで、創価学会・公明党は窮地に追い込まれ、創価学会と公明党の政教分離を明確にする旨、表明するにいたりました。

言論出版事件を契機に、もともと犬猿の仲であった共産党と公明党・創価学会は宿敵関係になり、現在に至っています。


こうした状況を案じてこれまで何度もテレビドラマや映画化された”砂の器”の作者として知られる、国民的作家松本清張氏の仲介で1974年に共産党のトップと創価学会のトップが会談し、創共協定が結ばれるという出来事がありました。

国民的作家の仲介で手打ちをした共産党と創価学会の創共協定とは?

創共協定とは、作家松本清張氏の仲介で、常日ごろ、互いに非難・中傷が絶えない共産党と創価学会の関係正常化を意図して1974年に創価学会会長池田大作氏と日本共産党委員長宮本顕治氏との間で調印された協定。

協定は、”相互理解や敵視政策の撤廃などを骨子とする”内容で協定の期間は10年とされました。

しかし、協定が創価学会が公明党の頭越しに、選挙戦で直接対峙する共産党との間に結んだことから、公明党が激しく反発。

特に竹入公明党委員長が”創共協定で創価学会も公安の監視対象になる”と警告するなど国会議員を中心に反発が広がりを見せたことで、協定は公表と同時にほぼ死文化したも同然となりました。

その後、1980年に創価学会の顧問弁護士山崎正友氏を中心とした日本共産党委員長の宮本顕治宅への盗聴事件が発覚して両者の対立は決定的となり、現在に至っています。

まとめ

①無神論の立場の共産党と宗教団体の創価学会は仲が悪いのはむしろ当然ともいえます。また、共産党と創価学会は支持基盤がほぼ重なることから、支持争いという面からも対立しやすい関係にあります。

②創価学会が1964年に公明党を結党したことで、共産党と創価学会の対立は、政治の場でも対立することになりました。

③1969年に起きた言論出版妨害事件で共産党と創価学会・公明党の対立は決定的になりました。

④1974年に創価学会会長池田大作氏と日本共産党委員長宮本顕治氏との間で対立を打ち止めにすることを目的とした創共協定が調印されましたが、公明党の反発により死文化され、以後、現在に至るまで反目が続いています。


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