東側諸国(ソ連崩壊前)一覧・東側どういう意味?その定義とは?わかりやすく説明

政治用語の違い

東側諸国とうはどういう意味?その定義とは?

東側諸国という言葉は、第二次大戦後にソビエト連邦(現ロシア)が
ポーランドやハンガリー、西と東に分断されたうちの東側の東ドイツ(ドイツ民主共和国)等の東欧(東ヨーロッパ)に
共産党一党独裁による国家体制からなる国を次々に樹立したことを契機に生まれました。

つまり、東側の東とは東欧が由来となっています。

当初はソ連と東欧を中心とした国々を東側諸国としていましたが、
その後、アジアで共産主義国家となった中国、北朝鮮、
中南米初の共産主義国家となったキューバ等、全世界の共産主義国家群を意味するようになりました。

要するに東側諸国=全世界の共産主義国家と定義されていました。

東側諸国と対立する言葉としては西側諸国でアメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ、
イタリア、カナダ、日本の先進諸国にスウェーデン、ベルギー、オーストラリア等の
資本主義体制の民主主義国が含まれました。

世界史で戦後の国家間の対立を示す言葉の東西冷戦は、
この東側諸国と西側諸国の対立を表した言葉です。

しかし、東側諸国で有力な国であった中国は1960年代後半以降、ソビエト連邦と対立、
国境紛争まで起こしたことで、東側諸国とは一線を画すようになりました。

東西冷戦の本場のヨーロッパでは東側諸国の軍事同盟であるワルシャワ条約機構。

世界的には経済の相互援助を目的としたコメコンが組織され、東側諸国間で強い結びつきを維持していました。



東側諸国間において存在していた軍事条約・経済援助会議

・ワルシャワ条約機構(WTO)
ワルシャワ条約機構は、東側諸国のうち東欧にある共産主義国家とソ連との軍事同盟を意図した軍事条約。
西側諸国間における軍事条約のNATOに対抗することを目的としていました。

1955年5月14日にポーランドの首都ワルシャワで締結されたため、ワルシャワ条約機構とよばれていましたが
1991年のソ連の崩壊により解散。

加盟国:ソ連、ポーランド、東ドイツ、チェコスロヴァキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、アルバニア

・コメコン(東欧経済相互援助会議)
参加国:ソ連・チェコスロヴァキア・ポーランド・ブルガリア・ハンガリー・ルーマニア
アルバニア(1961年末より脱退)・東ドイツ・モンゴル・
キューバ(1972年加盟)・ヴェトナム(1978年加盟)。
1991年のソ連の崩壊により解散。

1991年にソビエト連邦が崩壊して以降、新聞やテレビでも
東側諸国という表記が激減し、現在に至っています。




ソ連崩壊前に東側諸国とされていた国々は以下の通りです。

東側諸国一覧※ソ連崩壊前

ソ連崩壊前に東側諸国と言われていた国々を地域別に一覧にすると以下のようになります。
※カッコ内は現在の国名

ヨーロッパ圏内

・ソビエト連邦(現:ロシア連邦)

・ドイツ民主共和国(現:ドイツ連邦共和国)

・ハンガリー人民共和国(現:ハンガリー)

・チェコスロバキア社会主義共和国(現:チェコ共和国/スロバキア共和国)

・ポーランド人民共和国(現:ポーランド共和国)

・ブルガリア人民共和国(現:ブルガリア共和国)

・ルーマニア社会主義共和国(現:ルーマニア)

・アルバニア社会主義人民共和国(現:アルバニア共和国)

・ユーゴスラビア社会主義連邦(現:セルビア/コソボ共和国/ボスニア・ヘルツェゴビナ/北マケドニア共和国)

中南米圏内

・キューバ共和国

・ニカラグア共和国

アジア・中東圏内

・中華人民共和国

・モンゴル人民共和国(現:モンゴル国)

・朝鮮民主主義人民共和国

・ベトナム民主共和国(現:ベトナム社会主義共和国)

・民主カンプチア(現:カンボジア王国)

・ラオス人民民主共和国

・シリアアラブ共和国

・南イエメン人民共和国(現:イエメン共和国)

アフリカ北東圏内

・エチオピア人民民主共和国(現:エチオピア連邦民主共和国)

・モザンビーク人民共和国(現:モザンビーク共和国)

・アンゴラ人民共和国(現:アンゴラ共和国)

・ベナン人民共和国(現:ベナン共和国)

・マダガスカル共和国

・マリ共和国

 


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