シナ(支那)の意味や差別語とされている歴史的背景について分かりやすく説明

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恐らく、戦争世代までは、日常生活でラーメンをシナ(支那)そばと呼び、現在の中国のことをシナ(支那)と呼んでいました。

現に筆者の親の世代は、”ラーメンというよりシナそばと言う方がしっくりくる、あと
メンマも支那竹の方が”と言っていました。

また、中国人のことをシナ(支那)人と呼んでいたようです。

ですので、シナ(支那)とは、ほぼ現在の中華人民共和国を意味します。



シナ(支那)の語源

シナ(支那)の語源は、中国古代の王朝の一つ「秦(シン)」とされています。
英語でお馴染みの「チャイナ」も同じと考えられています。

これは、日本のことを中国語で”ジーパン”と呼んでいたことに影響され、日本を英語でジャパンというようになったことと似ています。

石原慎太郎都知事の「シナ」発言

石原慎太郎都知事は、定例記者会見で、”尖閣諸島問題などたびたび中国を批判。
 その際、必ずと言ってよいほど中国とは言わず「シナ」と言及したことで、「差別的だ」という批判を浴びました。

また、中国の当局やマスコミも石原氏の一連の発言を批判。新華社(中国の国営通信社)は、「戦時中日本が中国を侮辱するために使った『支那』」を口にしている石原氏は「大日本帝国の思想を持った」人物である、と指摘しました。

石原知事は、戦争世代であったということに加えて、”中華人民共和国”という正式国名について”自分の国を他国に対して「世界の中心」と呼ばせるのは無礼千万”という考えもあったようです。

シナ(支那)が差別語とされている歴史的背景

シナ(支那)という言葉がそれなりの語源と根拠があるのにも関わらず差別語とされるようになったのは、日中戦争において、中国及び中国人に対する侮蔑用語として使用されたことが理由です。

実際、戦争中、日本政府は当時の「中華民国」という正式な国名表記があるのにも関わらず、見下す・馬鹿にする目的で「シナ」及び「シナ人」などと呼んでいました。

このような歴史的背景から、現在に至るまで中国政府及び中国人は、日本人が中国をシナ(支那)と呼ぶことに拒否反応を示すようになっています。




こうした背景から、日本の外務省も昭和二十一年六月七日に都下の主な新聞雜誌社長に對し”支那の呼稱を避けることに關する件”という公式文書を送付しています。

支那の呼稱を避けることに關する件

文合第三五七號 

昭和二十一年六月六日
外 務 次 官(官印)
  内閣書記官長   殿

   支那の呼稱を避けることに關する件

 本件に關し外務省總務局長から六月六日附で都下の主な新聞雜誌社長に對し念のため寫のやうに申送つた。右參考のため御送りする次第であるが、機會があつたら御關係の向へも同樣御傳へを得たい。

本信送付先 各省次官、内閣書記官長、法制局長官、統計局長、内閣審議室、各都道府縣、終戰聯絡地方事務局長

 中華民國の國名として支那といふ文字を使ふことは過去に於ては普通行はれて居たのであるが其の後之を改められ中國等の語が使はれてゐる處支那といふ文字は中華民國として極度に嫌ふものであり,現に終戰後同國代表者が公式非公式に此の字の使用をやめて貰ひ度いとの要求があつたので今後は理屈を拔きにして先方の嫌がる文字を使はぬ樣にしたいと考へ念のため貴意を得る次第です

 要するに支那の文字を使はなければよいのですから用辭例としては

  中華民國、中國、民國。

  中華民國人、中國人、民國人、華人。

  日華、米華、中蘇、英華

 などのいづれを用ひるも差支なく唯?史的地理的又は學術的の敍述などの場合は必しも右に據り得ない例へば東支那海とか日支事變とか云ふことはやむを得ぬと考へます

 ちなみに現在の滿洲は滿洲であり滿洲國でないことも念のため申添へます

  昭和二十一年六月七日

岡 崎  外務省總務局長

つまり、シナ(支那)の代わりに中華民國、中國、民國。  中華民國人、中國人、民國人、華人等を使用しろということで、
地理用語である東シナ海、歴史用語である日支事變は問題ないという趣旨です。

このように戦争前後までは、日常的に使用されてきたシナ(支那)という言葉は、次第に消え、今も天気予報等で東シナ海という表記で目にするくらいの存在になっています。




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