クーデターとは?わかりやすく説明、革命とどう違う?

最近、新聞やテレビでクーデター”という言葉を目にすることもしばしばです。

その影響から、ところで”クーデターて何?”と首を捻る人も少なくないようです。

そこで、クーデターとは何か?について似たような言葉である革命と比較しつつ、わかりやすく説明します。


クーデターとは?

クーデターとは、もともとフランス語で”国家に対する一撃”を意味します。
過去の世界の歴史を振り返ると”国家に対する一撃”を仕掛けるのは、ほぼ100%その国の軍隊です。

クーデターは、その時点の政権に対して何らかの不満を抱いた軍隊がその武力を背景に政権をいわば”乗っ取る”ことで発生します。

世界的にみると過去,最もクーデターが発生しているのは、タイです。

タイでは、2014年に美人首相として知られたインラック首相がタイ軍のクーデターにより失脚、現在に至るまで国外で逃亡生活を送ることを余儀なくされています。

クーデターへの理解を深めるためにタイの最新の事例に基づいて説明します。

タイで2014年に起きたクーデターはどのようにして発生したのか

・発生前の政治状況
2014年5月の時点で農民を中心とした低所得者層の支持が強いタクシン元首相派と富裕層が支持基盤の反対派の政治対立が続くタイでは、6カ月にわたって反政府派のデモが続いており、約30人が死亡。 

タクシン元首相の実妹であるインラック首相は混乱を収拾できない状況にありました。

・戒厳令発令
タイ軍のプラユット陸軍司令官は、2014年5月20日午前に「われわれはこの暴力が全般的に国の治安を損ないかねないことを懸念している。

そこで、この国の法と秩序を回復するために戒厳令を布告した」として戒厳令を発令

・クーデター発生
戒厳令発令の2日後の5月22日17時。

プラユット陸軍司令官は、全てのTV番組を通じて声明を読み上げ、22日16時30分よりクーデターを決行、政権を掌握したことを発表。

声明でプラユット司令官は”市民の間で混乱が続いており、国の安全保障や国民の安全が脅かされていると指摘。

クーデターにより国民の結束を取り戻し、今般の混乱を正常な状態に戻す”と表明。

クーデター後の政権については、軍と警察により構成される国家平和秩序評議会(NPOMC)が国家行政の全権を担うことを明らかにしました。

また、NPOMCは以下の政策を直ちに実行に移しました。

※君主制に関する部分を除いた憲法の停止、午後10時半から翌日午前5時までの外出禁止
5人以上の集会を禁止、全テレビ・ラジオ局は通常放送を中止、大学や学校は5月25日まで閉鎖

さらに、閣僚をはじめとした政府派指導者の身柄を拘束。

ただ、クーデターにおいて武力は使用されませんでした。

クーデターというと暴力的なイメージをもたれがちですが、今回のタイのケースのように実際には武力が使用されずに行われることが多いのです。


クーデターによって誕生した政権の国際的な評価

クーデターによって誕生した政権は、国際的には通常、軍事政権と見做されます。

軍事政権は、選挙で選出されたわけではありませんので、その国の民意を反映しているとは言い難く、国際的には正統な政権として扱われません。

従って、外交交渉その他、他の国との協議のまともな交渉相手とは見做されませんので、国際的には孤立した状況に陥ります。

実際、クーデターによって誕生したタイのプラユット政権は、欧米に加え日本等から、軍事政権を正常な政権に戻す民選化選挙を早急に実施するように要求されています。

国際的な要請もあり、タイでは2019年3月24日に8年ぶりの総選挙が実施される予定で、その結果が注目されています。

革命とクーデターの違いとは?

近現代でもっとも大きな革命は、1979年に起きたイラン革命です。

1970年代まで続いていたパーレビ国王体制が、イラン革命によって崩壊。

パーレビ国王は、エジプトに逃亡。

政権の担い手が国王から、イスラム教の指導者にとってかわられ、世界史的にも例のない宗教指導者が最高権力者として統治するイランイスラム共和国が誕生しました。

革命とは、”国家体制を根本から覆す”ことを意味しますが、
イランは、文字通り革命によって、国王を中心とした統治体制が覆され”たのです。

人類史上初の社会主義革命と位置づけられているロシア革命も”それまでの国王を中心とした支配体制を根本的に覆し、レーニンを中心とする党派のボリシェビキによる一党独裁体制に移行しました。

この点で、政権は奪取するものの、原則として、現状の統治体制を維持しようとするクーデターと大きな違いがあります。

実際、タイではこれまで何度もクーデターが発生していますが、国王を中心とした統治体制は、現在に至るまで維持され続けています。

このようにクーデターと革命の違いは、現在の体制を”維持するか、覆すか”というところが最大の違いといえそうです。


日本でのクーデターの歴史

日本でのクーデターといえば、1936年の2月26日から29日にかけて起きた226事件が該当します。

陸軍皇道派青年将校に率いられた1400人余りの部隊が首相官邸や警視庁などの政府中枢部を占拠した青年将校は陸軍幹部らに国家改造の断行などを迫りましたが、昭和天皇が激怒したため、クーデターは失敗に終わりました。

226事件では、クーデターの首謀者は、天皇制の維持を前提、つまり、当時の国家体制を覆すことを目的にしていませんでしたので、歴史的には革命ではなくクーデターと見做されています。

ゴーン氏の逮捕の日産は革命かクーデターか?

経済紙や雑誌でカルロス・ゴーン氏の逮捕について、日産の日本人幹部を中心としたクーデターだとする論調が目立ちます。

各紙が革命ではなくクーデターとしたのは、日産・ルノーの経営体制自体は維持される見通しだからです。

もし、カルロス・ゴーン氏の逮捕をきっかけに日産とルノーが絶縁し、全く新しい経営体制に移行するのであれば、これまで述べてきたように”体制が覆された”ことに該当しますので”日産の日本人幹部を中心とした革命”と表記されたことでしょう。

まとめ

①クーデターとは、フランス語で”国家に対する一撃”を意味し、その多くは時の政権に不満を持つ軍隊によって引き起こされます。

②クーデターによって樹立された政権は、国際的には軍事政権と看做され、まともな交渉相手として扱われません。

③クーデターと革命は、前者が”現在の体制を維持する”のに対し”後者は現在の体制を根本的に覆す”ということが最大の違いです。


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